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字幕書き起こし NNNドキュメント「拝啓 泣き虫かあさん〜阪神・淡路大震災から22年〜」 2017.01.23

(時報)・黙とう・
今年も巡って来た1月17日
阪神・淡路大震災追悼の日
あの朝と同じいてつく寒さの中祈りをささげる女性がいた
「かあさん」と呼んでくれる一人息子を失った
「将来は国連の職員として働きたい」
大学生だった加藤貴光さんは大きな希望を抱いていた
その夢は押しつぶされた
(加藤さん)心が折れてもう死んでしまいたいって何度も思いました。
来る日も来る日も泣き続けた
心から笑える日はもう二度と来ない
そんなかあさんが大切にしている1通の手紙
大学へ入学する直前に貴光さんから渡された
生涯にたった1通だけもらった手紙が私を今助けてくれたなと。
ハハハ…。

 

 

 


手紙が多くの出会いを生んだ
その出会いが希望へとつながった
うわ〜これ水まくの大変じゃないですか?見たことない…バ〜って出て来た…。
泣き虫かあさんが歩んだ22年の記録

広島市の郊外に夫と暮らす加藤りつこさん
かあさんが毎朝欠かさないことがある
(加藤さんの声)心の中で「おはよう」みたいな感じですかね。
もう写真だけですもんね。
あれ以上成長しないですけどね。
老けないからいいかねフフフ…。
一人息子の貴光さんはうし年生まれ
優しいけれどしんの強さを持った息子をかあさんは「うしくん」と呼んだ
広島から神戸大学に進んだ貴光さん
ある志を持っていた
23年前に開かれたセミナーの映像が残されている
高校時代湾岸戦争の映像に衝撃を受けた
「将来は国連の職員として世界平和に貢献したい」
しかしこのわずかひと月後…
最大震度7の揺れに街は一瞬にしてがれきと化した
大学2年生だった貴光さんが下宿していたアパート
部屋があった2階部分は完全に押しつぶされた
震災から3週間後
うつぶせになってた子供をね私も見るに見かねて…。
うつぶせでしんどそうに見えるんですよね。
だから「上に向けてやって」って「あおむけにしてやって」って頼んだんですよ。
苦しそうな顔に見えましたね無念そうな顔に見えました。
震災後かあさんが訪れるようになった場所がある
貴光さんが高校時代通学路で見つけた高台に立つ喫茶店
ここからの眺めが神戸の街並みに似ていると大学に通う貴光さんに教えてもらった店だ
店を営む河手靖子さんの目に映ったかあさんの姿
(河手さん)あの時はもう自分の生きてることすらどうでもいいっていうあの…。
姿に表れてましたよね。
だからもう励ますこともできませんよね。
悲しみに沈むかあさんに河手さんは…
それで…。
ここに来て。
河手さんの前なら思いっ切り泣くことができた
そんなかあさんを支えたものがある
貴光さんが大学に入学する直前に手渡してくれた手紙
書き出しは改まって「親愛なる母上様」
「あなたのそしてみんなの…」
心が折れてもう死んでしまいたいって何度も思いましたけど「あなたを母にしてくださった神様に」ってあの子がここまで言ってくれてるのに私がこんなことじゃいけない…。
うしくんの手紙は思わぬ形で広まることになる
(柏村)5300人の犠牲者の中に広島出身の1人の神戸大学の学生さんがいました。
息子が母に残した感謝の手紙
テレビや新聞で取り上げられ大きな反響を呼んだ
そして出会いを紡いで行く
この日かあさんは広島から神戸に住む松本久子さんを訪ねた
あ〜。
(加藤さん)来た来た。
(加藤さん)ありがとう。
松本さんの娘裕美子さんは大学時代貴光さんと同じ国際交流サークルに所属
被災したものの無事だった
貴光さんの手紙をテレビで知った松本さん
かあさんにこう呼び掛けた
子供同士が親友であったんだから私達も親友になりませんか?っていう。
互いの家を訪ねるようになった2人
こんにちは。
家族ぐるみの付き合いが始まった
松本さんが大きな支えとなる日がある
(時報)
最もつらい1月17日
松本さんが毎年寄り添う
(時報)・黙とう・
(加藤さんの声)神戸の街へ来ると冷たくてすごくつらいんだけど彼女のぬくもりがあったから神戸に足を踏み入れることができた。
彼女の存在なくして今の私はないと思ってます。
震災から12年
かあさんにとって転機となる出会いがあった
♪〜
貴光さんの手紙に心を打たれて曲をつけた
(奥野さん)1人の亡くなった人の手紙が生きてる今の僕達に訴えるものっていうのはたくさん意味があると思うんですけど…。
生きてるんだからできないことはない。
そういうことをこの手紙は僕達に教えてくれてる気がしちゃってなんないんですよね。
かあさんが奥野さんと一緒に始めたこと
♪〜あなたが私に♪〜生命を与えてくださってから
この歌と共に全国を巡る講演活動
息子から託された命のメッセージをもっと多くの人に届けたい
♪〜♪〜♪〜♪〜あなたを母にしてくださった♪〜神様に感謝の意をこめて♪〜
2011年3月11日
東日本大震災
かあさんの脳裏にあの日がよみがえる
東日本大震災の翌年かあさんは生徒2人が津波の犠牲となった福島県内の高校を訪ねた
私は17年前…。
私と同じ苦しみがいちから始まる人がいるということ。
それを考えた時に何かできないかな〜応援ができないかな〜って思い始めたのがその頃でした。
同じ苦しみを体験したからこそ寄り添えるはず
かあさんが伝えたかったことがある
とことん落ち込みへこんで立ち上がれない状態に奈落の底に落ちてる人間にはどんなものも力にならないんです。
私の力になったのはやはり出会いによって得た感動だったんです。
その感動の出来事によって一歩前に進んでた。
その繰り返しによって立ち上がったんです。
亡くなった家族の人の気持ちがすごい伝わって来て…。
私もちょっと泣いちゃったんですけど。
震災を受けた者同士しか通じ合えないとこもあると思うんでそういうつながりはやっぱり大事にしたいです。
かあさんはチャリティーイベントを開き収益金を寄付して来た
現地にもたびたび足を運び被災者の声に耳を傾けた
はい大変です。
♪〜
広がる交流の輪
そこからまた新たな出会いが生まれる
広島県福山市にある盈進学園
こんにちは〜。
生徒達は東日本大震災の被災地支援や核兵器廃絶に向けた活動をしている
かあさんとは被災地支援で親しくなった
核のない平和な世界を目指したい
それは国連の職員を夢見た貴光さんの思いにも重なる
あ〜そう。
お願いしますね。
(生徒)ありがとうございます。
そんな生徒達が核廃絶に向けたスピーチをするため3年前初めて国連に向かうことになった
は〜いこんにちは〜。
この日学校を訪ねたかあさん
生徒達に手渡したのは…
(生徒達)はい。
(生徒)じゃあ4人で。
お願いします。
受け取ります。
ありがとうございます。
貴光さんの写真
最愛の息子が夢にまで見た場所へ向かう
その3日後ニューヨークの国連本部
英語
核兵器廃絶を訴える生徒の傍らには貴光さんがいた
ものすごい感動して。
あ〜ここへ…念願の国連の中に入れたんだな〜っていうそういう素晴らしい思いをさせていただいたのが…。
貴光さんは生徒達と共に3年にわたって国連の門をくぐった
一昨年11月かあさんが自ら書いた本が完成した
わぁ〜!本に…。
わぁ〜。
タイトルは『希望ふたたび』
表紙は盈進学園の生徒が描いてくれた
翼の生えたうし
貴光さんが羽ばたこうとしている
本に書いたのは最愛の息子を失った絶望の日々
息子の手紙が紡いだ出会い
そこから生まれた生きる希望
希望という言葉さえ最初は使いたくなかったですからね。
以前の私だったら。
希望という言葉をこういうふうに使いたいと思う自分がいることが何かすごい奇跡みたいな気がしますね。
かあさんは最初の1冊を息子にささげた
この日神戸の街にやって来たのは盈進学園の生徒達
犠牲者の名が刻まれたその場所で見つけたのは…
貴光さんへの思いを手紙にしたためた
(加藤さん)みんな期待してます。
ねっ楽しみ今中3だもんね。
「りつこお母さん」
そう呼んでくれる子供達が今ここにいる
去年12月20日
かあさんはあの喫茶店にいた
この日は貴光さんの43歳の誕生日
(河手さん)はいどうぞ。
(加藤さん)ありがとう。
ありがとういつもねこうしてありがとう。
テーブルにはコーヒーカップが2つ並んだ
43歳のあの子に会ってみたいわ。
またあの日が巡って来る
(時報)・黙とう・
1月17日午前5時46分
今年もかあさんの傍らには松本さんがいた
そしてもう1人
かあさんと慕う高校生も
翼の生えたうしくん
なでてやって。
やっぱり涙はこぼれる
それでも前を向いて生きて行く
拝啓泣き虫かあさん
あれから22年がたちました
増え続ける住職のいない寺
(読経)
シルバー世代は寺をよみがえらせ地域を再生できるのか
新たな試みが始まった
2017/01/23(月) 00:55〜01:25
読売テレビ1
NNNドキュメント「拝啓 泣き虫かあさん〜阪神・淡路大震災から22年〜」[字]

阪神・淡路大震災から22年。一人息子を失った母親の物語。絶望の母親を救ったのは生前、息子が母親に宛てた生涯でたった1通の手紙だった。

詳細情報
番組内容
阪神・淡路大震災から22年。大学生の一人息子を失った母親の物語。絶望の母親を救ったのは生前、息子が母親に宛てた1通の手紙だった。書き出しは「親愛なる母上様」。その手紙が母親に多くの出会いを生む。その出会いが母親に生きる希望をもたらした。
出演者
【ナレーター】
吉川晃司
制作
広島テレビ