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字幕書き起こし 100分de名著 ガンディー“獄中からの手紙” 第3回 2017.02.20

人類の歴史の中で避けられない「暴力」という問題。
たった70年ほど前ガンディーは「非暴力」でインドを独立に導く事に成功します。
そのためには「赦し」と「愛」が重要だと説きました。
「100分de名著」「獄中からの手紙」。
ガンディーから憎しみを超えた真の勇気を学びます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…今月はガンディー「獄中からの手紙」を読み解いています。
今回は「非暴力と赦し」というテーマです。
あまりにもガンジーといえば「非暴力」有名ですがどんなイメージをお持ちですか?何でしょうねもう。
耐える耐えて耐えてみたいなイメージですけど。
そうですよね。
一体どんな力だったのか今日は詳しく読み解いてまいりましょう。
東京工業大学教授の中島岳志さんです。
今回もよろしくお願いいたします。
「非暴力」と訳されますけれども本来の言葉はちょっと意味合いが違うそうですね。
そうですねインドのヒンディー語などで「アヒンサー」という言葉を使うんですね。
こちらですね。
ヒンディー語で「アヒンサー」。
はい。
「ア」という部分と「ヒンサー」という2つに分かれるんですけども。
後ろのこのヒンサーというのが傷つける事であったり殺しちゃう事殺生する事という意味なんですね。
「ア」というのはそれの否定語なもんですからこれは殺さない事傷つけない事というそういう意味になるんですね。
やっぱりちょっとニュアンス違いますね。
「傷つけない」だと少し広い感じが…。
何か僕が思ったのは「手は出すなよ」みたいなイメージだったんですよ非暴力が。
それよりちょっと広いかな。
そうですね。
領域がまだ広いような気がしますよね。
そうですね。
それでは実際にはどんな運動だったのか詳しく見ていきましょう。
ガンディーが非暴力運動を始めたのは南アフリカに滞在していた時の事。
1907年アジア人強制登録法が成立します。
これは全てのインド人に指紋登録を要求するもので証明書を常に持ち歩く事が義務づけられ違反者は罰金や投獄のおそれがありました。
ガンディーたちはこの身勝手な法に対して「インド人はその法律に従わない」と表明し登録証を燃やし始めます。
その結果ガンディーは投獄されます。
その後毎日のようにガンディーの意志を受け継いだ人々が投獄され続け刑務所はあふれんばかり。
困り果てたイギリスは解決案を持ちかけついにはインド人の人権を取り戻す事に成功したのです。
更に1930年インドに戻ったガンディーはイギリスが塩の製造を禁止していた事への抗議のため「塩の行進」を指揮します。
ガンディーはこの行進も非暴力の精神に基づいて行いました。
人々に塩をつくるように呼びかけそれは「アヒンサー」の精神で行いなさいと語りかけたのです。
警官隊が前に立ち塞がった時にもひどく殴られながら進み続けた人々。
彼らはまさに「アヒンサー」を胸に立ち向かったのでした。
よくあるのはもともとはとても高い理想のために始まったデモだったんだけどそれが警官隊と衝突したりする中で暴徒化するみたいな事ってあるじゃないですか。
はい。
そういう事をニュースで見るからガンディーのやったアヒンサーの強さ清さみたいなものはより際立ちますね。
そうですね。
たとえ投獄されてもそれはもう変わらなかったんですねその精神というのは。
そうですね。
いっその事もう暴力を使ってくれた方が話が早いのになんていうふうに言ったというふうに言われていますけどもむしろですね困ったのはイギリスだったんですよね。
普通はその投獄する前の取り押さえられる段階でもみ合いになったりとかするわけじゃないですか。
そうするとそこにまたいろんな罪状はつけられるわけだから何かものすごくとんちというのは違うのかな。
やっぱりでも利口なやり方ですよね。
そうですよね。
相手の土俵に乗ってない感じがしますね。
あの塩の行進でもあれは暴力に訴えずに運動した一つの例ですよね。
ガンディーは逮捕されてしまうんですけども各地でどういう事が起きたのかというととにかく相手に対して警察官とかイギリス人に対して手を出してはいけないと。
殴られる。
しかし殴られるんだけれどもその殴られた人はまたず〜っと後ろの列に並んで後ろには救護人の人がいるんですけどもその救護の人に治してもらってまた順番が来たらばしっと殴られる。
でまた後ろについていく。
これをずっと延々繰り返していく。
そうやって殴られ続けろ。
手は出してはいけない。
そんな運動をやるんですよね。
それに震えてるんじゃないのかそんな事を言うんですね。
は〜ちょっと深い言葉ですね。
「獄中からの手紙」の中でもこんなふうに言っています。
これまさに「無畏をもって武装した人」というのが。
そうですね。
無畏ですから恐れがないという事だと思うんですけどもむしろこういう銃とか剣によって武装した人たちの方が恐怖にとりつかれている。
逆に恐れずにそして武器やそういったものを捨てた人たちの方がこれは勇者なんだ。
つまり無畏によって武装しているんだというそういう言い方をするんですね。
いや〜でもしかもね直接的に暴力を受けるわけだから痛いわけで血が流れるわけでそうは言うけどガンディーさん俺このままじゃ死んじゃうよという事になるわけじゃないですか。

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その何か…その耐える力とはその耐える力を与える言葉の力というか。
この時もちろん殴られてる人は身体肉体で痛みを感じるわけなんですけどもガンディーはこう言うんですね。
その時が非常に重要なんだ。
その時に一歩何かが始まるというのがガンディーの非暴力アヒンサーだったんですね。
実は積極的なそういうメッセージが込められたものだったんですね。
そうですね大変積極的ですよね。
こっちの方が勇気がある。
恐れを知らないんだというふうに言っているので…と同時にガンディーが言っている事はこのアヒンサーというものは愛であるという言い方をしてるんですね。
この愛というものをしっかりとつかまなければアヒンサーには意味がないというふうに言っています。
では愛が非暴力というのはどういう事なのかガンディーの「獄中からの手紙」を見てみましょう。
ガンディーは愛についてこんなふうに語っています。
う〜ん…まあシンプルかつ行うのはなかなか難しい話だとは思うんですけど。
相手がどうであってもこちらはもう愛をもって接してそしたら相手が変わるかもしれないという事なんですね。
ガンジーらしいというか。
そうですね。
まあガンディーがどういうふうに愛っていうのを考えていたかなんですけれども私たちが愛っていうのを感じる時って例えば自分にはないすばらしいところがこの人にはあるなというふうに思う時に何か愛が芽生えたりというのがあると思うんですがもう一つやっぱり自分とここは共有できるんだ自分と同じ部分があるんだ分かち合えるんだっていうある種の同じだというふうに思える部分というのも愛にとって非常に必要な事で。
つまりバラバラですよ違いますよという差異の部分と同じだという同一性の部分ですね。
ガンディーはその愛の構造というものをよく考えて…それによって本当の愛が生まれるというふうに私は考えたんだと思いますね。
ガンディーも抵抗運動をする中で独立運動の中でこの愛の考えも用いたという事なんですか?そうですねこの非暴力っていう問題と愛っていうものをつなげてるとこが非常に重要だと思うんですが例えば日本でもですね私もデモ少し行ってみた事もあるんですが例えば原発の問題が大きな問題になった時に官邸前にたくさんの人が押し寄せました。
しかし中にやはり官邸に向かってあるいは電力会社に向かって非常に暴力的な言葉が飛んでいる事というのもあったと思うんですね。
もちろんデモはとっても大切な事なんですけれどもしかしガンディーがもしそこにいたとしたらその言葉は暴力じゃないですか?というふうに言ったかもしれないなと私は思ったんですね。
暴力というのは一発殴るとかそういうふうな物理的な暴力だけではなくて…私たちは殴られる事よりもひと言グサッと言われる事の方が大きな傷になったりする事がある。
その構造をガンディーは考えていて重要なのは非暴力には愛というものがなければならないというふうに言ったんだと思います。
さっきまさに今夜の頭に言ってた「傷つけない」に心が含まれてるというか。
もっともっとごく身近なじゃあSNSが炎上しますみたいな事ってあるじゃないですか。
自分にも戒めなきゃいけないのは「あなたの言葉遣いは間違ってたよ」。
ちょっとイラッとするんだけど「ご指摘ありがとうございます。
勉強になりました」。
ここで済んでれば非暴力なんですけどねそのあとにね何かそのやり込められたというのが嫌だから「それ以外のところに関しては全てご納得頂けたという事でいいですか?」って言うんですよ。
ひと言多い。
ひと言多い。
それはね自分の何かプライドを守りたいの。
向こうも分かるそれを絶対キャッチするから。
その「内容までは取るに足らないものだと思ったのでせめて小学生程度の教養をつけて頂こうと言葉遣いだけの指摘に済ませておいたまでです」なんて。
この先はもうね罵詈雑言のやり合いです。
とりあえずは今殴られとこうっていう事。
もしかしたら向こうは気付いたかもしれないとか丸く収まったかもしれないって俺の身近で言うとこういう感じかな。
はい。
まさにでもそれも暴力と非暴力ですよね。
相手を傷つけてしまった事によって怒りがこう表面化してきたとか。
そうなんですよね。
ガンディーにとっては何か暴力的な言葉あるいは…勝ったと思った。
けれどもそれは勝利ではないって言うんですね。
実は長いスパンで見ると勝利を逃がしているんだ。
より相手が憤りを持ったりとかその憎悪の連鎖っていうのが起きてしまうわけですね。
これは何にも始まっていないし前にも進んでいない。
それは非暴力ではないというふうに考えたと思いますね。
ここまであの非暴力について見てきましたけれどもまあ私たちの一般的なイメージでは非暴力全く暴力しないというふうに捉えてたんですけどそういう考えと受け取っていいんでしょうか?必ずしもそうでないというふうにガンディーは言っているんですね。
例えば目の前で女性が何か暴漢に襲われていると。
その時に指をくわえてず〜っと見ているのが非暴力なんですか?というふうに聞かれた時にガンディーはそれは違うって言うんですね。
自分も暴力で返さないといけない時にはその暴力を使うかもしれないっていうふうに言っているんですね。
ガンディーはそういう言葉を残しているんですね。
ですからあくまでこれは手段であると。
この手段を超えた本当の大切なものというのをつかみ取る事が重要なんだというふうに言っているんですね。
その部分がこちらになります。
はあそういう事なんだ。
僕はその「非暴力」というのはもう絶対的なキャッチフレーズでそれこそガンジーの部屋にでっかく「非暴力」っていう掛け軸があってそれから動かないもんだってそれがメインでそこから始まるだと思ってたんですけどあくまで真理が目的の手段…。
やはり手段である。
大切なのは真理だと言ってるんですね。
しかし例外がありえると考えていたんですね。
その例外というのはちゃんと自分たちの手の届くところによってコントロールされないといけない。
ちゃんと愛がなければそういう事はやってはならない。
そういう戒めもしっかりとしているんですね。
そうは言ってもやっぱりやられたらやり返したくなりますしやられたらやり返せってこうつい言ってしまいそうですけどそれってどうなんですか?そうですねガンディーはこの怒りとかあるいはそこから生まれてくる…だからその怒りを超えないといけない。
その先にある赦しという問題をしっかりとつかまなければ真のアヒンサーとは言えないというふうに考えているんですね。
では一体どうすれば憎悪や怒りを乗り越えられるのでしょうか?さっきちょっと直感的に思った支配と愛の差みたいな勝利と赦しの差みたいな事ですか。
ええええ。
ガンディーが考えたのはやはり誰か外に敵がいるぞ。
これに対してこの野郎という怒りというものを向けている。
その時ここに敵がいるように見えて実は…自分はこの内なる敵というものを乗り越えないといけない。

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それは一体何かというとやっぱり赦しという問題であると。
彼は言っているんですよね。
イギリスに対してもそういう思いだったんですか?そうですねガンディーは「イギリスとともに祈れ」と言っているんですけどもイギリスはインドを支配している側インドは支配されている側なんですけれども…ガンディーは考えたんですね。
イギリスはインドを搾取する事によって利益をあげようとしている。
しかしインドの側もイギリスがもたらしてくれる近代的なさまざまな物質的な文化文明これを享受しようとして…この両方の欲望の総合体というものがインドにおける非常に厳しい支配になっているとするならば超えなければいけないのは単なるイギリスの支配ではないって言うんですね。
その上にあるイギリスもとらわれている近代というものであると。
これを両方から覆していく事。
それがガンディーにとって非常に重要な次のステップというふうに考えられたんだと思います。
なかなかインドも共犯関係で悪いんじゃないかって思うに至るってすごいですよね。
これはすごいよね。
また夫婦げんかで言うとこの彼女がイライラしてる原因どこだっていう事を自分の中に探ってってなるほどここなんだなというのを見つける作業が。
まさに内面を探って見つける作業。
自分の内面の中から。
このもめ事はどうして起こった?この良くない状態は何で起こってる?というところはそのイギリス自体もある意味どこかを植民地にしたり犠牲にしないと成り立たない世の中にとらわれてる状態なのならばそれはどうすればいいの?その怒りの怒りに割くエネルギーを分析に回していく赦しに回していくみたいな強さというところにガンディーの意味があるというのも多分僕はこれを今勉強しないと分からなかったですね。
こういった考えってガンディーの独特の考え方なんですか?そうですね。
ガンディーはよく批判される時にあなたの運動というのは受け身であるっていうふうに言われる事があるんですね。
ガンディーの言葉には否定形が多いですよね。
「非暴力」「不服従」とかですね何かを否定する。
これも何か消極的なように見えるんですけどもこれもガンディーは積極的な概念だというふうに捉えているんだと思います。
これが正しいんだ!というふうな人たちというのはどうしても他者に対して非寛容的ですよね。
これに従え!というふうな支配になってしまう。
それじゃいけないんだ。
しかもこの「ない」っていう概念は自己反省につながっていきますよね。
自分を突き刺していくという概念にこの非とか不という概念はなっていく。
この積極性というものをガンディーは捉えていたんだと思います。
「非」とか「無」って付けるのってゼロに戻す事であって対極のものその反対語の方に行っちゃうとそれは何かこう振りすぎっていうのかな。
よく思うのはねあいつ得してるという事は俺は損してるんだって思っちゃうじゃん。
ゼロは別に損はしてないのに。
あいつ得してるのに俺が得してないと損だからとにかくあいつの得を引きずりおろすか俺が得しなきゃという事みたいなのが変な争いとかを起こしてるような気がいつもしててせちがらい世の中をつくってるような気がしてて。
何かやるかやられるかみたいになっちゃっていや普通に暮らすというのは駄目なんですかっていう。
今日はガンディーの最も有名な非暴力の考えについて読み解いてまいりましたが全体通していかがでしたか?うん。
僕はちょっと怖くなってきたのはとてもガンディーに対して尊敬の念とかガンディーの出してきたアイデアに対してすばらしいって思い続けてる僕がいるんです第3夜は。
4夜でそのガンディーがどうなるの?という事が怖くて。
次回はいよいよ最終回です。
ガンディーは私たちにとって切っても切れない仕事に関しても注目しているんですよ。
どうぞお楽しみに。
はい。
中島さん今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
2017/02/20(月) 22:25〜22:50
NHKEテレ1大阪
100分de名著 ガンディー“獄中からの手紙” 第3回[解][字]

「非暴力」は、単に暴力を否定するだけではない。「怒りや敵意を超えろ」というメッセージが込められている。高次の対話につながる自己変革こそガンディー思想の根幹である

詳細情報
番組内容
憎悪の反復は、最終的には何も生み出さない。「ゆるし」によってこそ、次の平和に向かって進むことができるという。このようにガンディーの「非暴力」思想は、単に暴力を否定するだけのものではない。「怒りや敵意を超えろ」というメッセージが込められている。ガンディーは敵対する人々に対しても、「祈り」「断食」といった自己変革を伴う運動によって、相手の心を動かし、高次の対話につなげていこうとするのだ。
出演者
【講師】東京工業大学教授…中島岳志,【司会】伊集院光,礒野佑子,【朗読】ムロツヨシ,【語り】屋良有作