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書き起こし 徹子の部屋 小室哲哉 2016.12.13

(黒柳)音楽プロデューサーでいらっしゃいます。
90年代の音楽シーンは小室ファミリーが時代の象徴的な存在だったと言われております。
奥様はglobeのKEIKOさん。
5年前にくも膜下出血になったんですけどもとてもお元気におなりになってなんか今日私にメッセージをくださるというのでとても楽しみにしております。
色んなお話伺います。
小室哲哉さん今日のお客様です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。

 

 

 


(拍手)『徹子の部屋』は12年ぶり。
はい。
12年経つんですね。
小室さんのヒット曲ちょっとご紹介しようと思います。
TRF。

(YU−KI)「逃したくないよ…!」
(DJKOO)「今日から…今日から新しい21年目を!」「yehyehyehyehyeh」「wowwowwowwow」「yehyehyehyehyeh」「wowwowwowwow」「yehyehyehyehyeh」「survivaldAnce!SurvivaldAnce!」「trialdAnce!」あっglobeです。
KEIKOさんが入ってます。

(KEIKO)「選んでくれたから」「どこまでも限りなく降りつもる雪と」「あなたへの想い」「少しでも伝えたくて届けたくてそばにいてほしくて」まあ大変何だって有名ですよねこれね。
そうですね。
『CANYOUCELEBRATE?』。
「どうしようもない風に吹かれて」「生きてる今これでもまだ悪くはないよね」可愛い。
可愛い。
今となっては懐かしい。
懐かしいですね。
皆さんそう…。
案外皆さんそうですね。
独り立ちされていってっていう感じで。
そうそう。
あの頃はねあなたがお作りになってねあれしてた…。
それにしてもあの頃は忙しくて忙しくて何だかはっきり覚えてないようなところが…。
もう記憶が飛んでるようなところがある…。
締め切りがね毎週あったっていうぐらいなので。
音楽家が締め切り毎週あるのはなかなか大変だと思いますよね。
そうですね。
年間だから90曲ぐらいは締め切りがあったと思いますね。
それにヒットしなきゃいけないっていうのがね。
ただ作ればいいっていうんじゃないんですもんね。
昔はCDがねバブル時期だったっていうのもありますけどね1000万枚…4曲だけで1000万枚は超えまして。
本当?4曲で1000万枚?ええ。
ですね。
すごい…。
そういう時代でしたね。
今聴き放題とかですからね。
そうか。
今はね聴き放題っていう…。
この中に入ってますからね…。
そうですよねそう。
でもご自分では消耗品だってあの頃思っていらしたところあるんだけどやっぱり今こうやって聴いてごらんになるとやっぱり作って良かったって…。
そうですね。
そういうふうには言ってましたけど作ってる時はやっぱり必死に作ってましたんで。
そうですよね。
なんか刺さってくれたらいいなっていうふうに…その歌詞の世界とかですよね。
「ああわかるわかる」とか「これ私のことだ」「僕のことだ」っていうことが…。
自分のことに置き換えてくれるのがね一番いい…。
それで慰められたり。
そうですね。
話全然変わるんですがお父様をお亡くしになったんですって?そうですね。
3年前ですかね。
3年前?そうですか。
お父様音楽に反対していらしたんでしたっけ?反対でしたね。
可愛い。
あんまりちゃんと記憶がないんですけどねやってたんですね。
これ将棋?そうですね。
あんまり記憶はない?うん。
父親若いですねこう見ると。
でもお父様「学歴ないと駄目」って仰ったんで早稲田に?そうですね。
高校受験で早実に。
お父様もそうだったように?そうですね。
結果すごく良かったと思いますけれども。
いらしたのがね。
良かったと思います。
これはどういうところですか?これたぶん早稲田実業に僕高校は入学したんですけど…の修学旅行だと思うんですけどなんか中学生みたいですね。
ちょっとねそういうふうに見えますね。
これたぶん高校1年ぐらいだと思うんですけどね。
これは相当ねもうね。
これはそうですね。
成人式ぐらいですかね。
おしゃれ…おしゃれ。
そうですね。
だけどあれですよね絵画教室とか音楽教室とかにお母様は「通って」って仰ってそういうのは通っていらしたんですって?全然家系をずっとたどってもいないんですけどね。
音楽は?あなたのところから始まるの?いきなり。
ええ。
全くいないんですよ。
でも人とは違うものを作る何かそういう個性的なものはきっとあったんでしょうね。
あったんですかね?なんでこうなっちゃったんですかね?でもお父様は最後は…初めは反対していらしたんだけど最後はもう…。
そうなんですよね。
すごい…何だろうな?ちょっと…何だろう?えーと…何とか長官みたいな感じですね。
ベッドを…。
ちょっとベッドからちょっとだけ起き上がった感じでピシッとしてですね。
いつも?いや僕が。
ちょうど仕事で…。
あなたが?撮影で出掛けなきゃいけなかった時なんですけど。
「哲哉はこれから撮影に行ってまいります」みたいな感じで。
そんな感じなの?すごいわね。
「頑張って行ってくるように」みたいななんかそういう指令を出されたような感じです。
でも最後のお別れの言葉もそういうのだったんですって?それが最後です。
それが最後で撮影でこういう感じで撮影中に息を引き取ったみたいな感じなので。
そうなの?でもお父様ご覧になるだけあなたの成功はご覧になったでしょうからね。
そうですねええ。
かなり僕の知らないところでは自慢してたみたいなんで。
自慢?ああそう。
そういうのってでも嬉しいことは嬉しいですよね。
良かったですけど。
それで結婚なさったりして…。
KEIKOさんは結婚の翌年ですねおいでくだすったのは。
ちょっと見ていただきます。
いいですか?「うち…実家が料亭をやってましてちっちゃいステージがあるんですね大広間に」「でそこで『ベストテン』に出る自分をシミュレーションして」「でミラーのあの…」「うん。
ミラーゲートから?」「あれをどうしても入りたくて」「ちっちゃい…そうですね中学生になるぐらいですかね」「その頃シミュレーションして出ていって…」「今週の第何位とかって?」「そうですそうですそうです」「それで歌いたいっていう気持ちがすごいあったのは事実ですね」「小室さんは随分ねご一緒したんですよね『ベストテン』ではね」「そうですよね。
そう言ってましたね」「あの方お道具の多い方でね」「一番多かったんじゃないですかねお道具が」「道具…。
そうですね」「道具がね」「“お道具が多くて”って私よく言ってたんですけども」「一緒に皆さんガーッとかやってらしたじゃないですか」「そういうようなことをしたいなっていうふうに…」「これから“はいポーズ”だけやってみようかなって」「2人で何ですけど」「嬉しい!いやいや嬉しいです」「小室さんいらっしゃらないであれですけど。
よろしいですか?」「ジャジャジャジャンジャジャジャジャン…」「いいですか?はい。
はいポーズ!」「
(シャッター音)」「嬉しい!これ嬉しいです。
すごく…」こんなことやったんだ。
やってた…。
フフフッ。
笑っちゃうわね。
えー…。
そう。
徹子さんも結構はじけてましたね。
はじけてましたよね。
本当本当。
でもあれですかね?彼女も色んなところは変わらないで前と同じところある?今ですか?今の見て?うーんやっぱり変わりましたね。
やっぱり変わりました?変わらない…。
声とかちょっとトーンも違うのかな?テンポなんかが違う?テンポがまず違いますね。
でもまあだんだん良くなってくればね。
でもくも膜下でそのぐらいのなんていうんですかね?後遺症っていうんだったら良かったじゃないですか。
そうなんですよね。
本当偶然僕がいたので夕方の時に。
その時?前の朝から…前の日っていうかその日の朝から頭痛はしてて。
頭痛?ええ。
頭痛薬を飲んだりして。
普通あっという間に治るぐらいの感じだったんですけど夕方までまだ痛かったんで僕がもう…。
「恥ずかしいからいいいい」とか言ってもやっぱりもう119番して。
そう。
やっぱりピンとくるところがあったのねきっと。
これはおかしいなと思って。
やっぱりおかしい?あまりにもおかしいなと思って。
でもあと1時間遅かったら脳梗塞になってたでしょうねという感じで。
やっぱり旦那様いらしたんで良かった…。
自分だけだったら我慢してね行かない…。
我慢したと思いますね。
そうですよね。
本当無理やり…。
でももう途中で家の玄関出るぐらいはもう気絶してましたね。
そんなにひどかったの?そう…。
担架に乗せた途端にもう…。
でもくも膜下になった時っていう瞬間それをお聞きになった時はどんなふうでした?うーんとそうだな…。
えーとまあ残念ながらくも膜下っていうのを聞いて亡くなった方のことは何人か存じ上げてたっていうか知ってたのでうーん…まあ相当重症だなと。
もう…サインサインですよね輸血だったりとか。
ああ何でも何でも?何でも。
僕しかいなかったので。
そう…。
うん。
でもまあどんどんどんどんサインして。
そんなにいっぱいサインするの?そうですね。
やっぱり脳を切ったりしなきゃいけないとか何をします何をしますっていう。
何剤を使いますとか。
そうですよね。
でもやってもらうしかないなっていう感じですよね。
でもそれから何年も経って。
はいそうですね。
現在は?今年で6年目ですね。
KEIKOさんのご様子は今どんなふう?うーんとそうですね今の映像のような感じではないですけれども普通の生活でお喋りするぐらいは全然何も変わらないかな。
そうなの?できると思います。
ちょっと忘れっぽいかな?昔のほうが覚えていてどんどんどんどんもう5分前10分前1時間前ぐらいが一番ちょっと忘れっぽいかなっていう感じですけど。
でも頑張って思い出すようにはしているみたいですね。
それから何回も「言ってるよね私ね」っていう…自分で。
自分でね。
それわかりますよね。
私たちも話ししてるうちにね「この話したっけ?」とかさ「したわよね」とかさ言うじゃないですか。
あれみたいになっちゃう?だんだん。
「言ったよね言ったよね」っていう感じで確認はして…。
元気でいらっしゃれば。
そうですね。
考えてみればね。
うん。
躁鬱みたいなのがあったとして明るいほうだけになったんですよ。
それすごいですよね。
それで助かってますかね。
元々の性格がそうなの?「そう」って言うと変ですけどそうだったのかしら?そうだと思いますね。
内面ではすごく悩み事とか中に入れる人だったと思いますけれども外には出さないほうの人だったので。
そう。
まあその外側だけっていうか今は本当に中のほうも…本当の本当はわからないですけどたぶん何も悩み事ないと思いますね。
そうですか。
でも全てがどっちかっていえばポジティブっていうんですかね?ポジティブですね。
前向きの方なんでその点はとってもね。
そうですね。
前向きすぎるかなっていうぐらい前向きですね。
じゃああなた励まされていいじゃないですか。
そうですね。
うーん…「稼いで稼いで哲哉君」とか言っていつも歌って…。
そう言うの?「稼いで稼いで哲哉君」って?いいわね。
私のこともそれじゃ覚えてるかな?覚えていました。
覚えてます。
そう?それじゃ声を…。
「行くよ」って…「行ってくるよ」って…。
声を録る時も「徹子さんにだよ」って言ったら「身に着けてるものを褒めてもらったんだよね」みたいなことを…。
そうそうそうそう。
指輪とかねあの時ね。
それから結婚式の時の首輪がね奇麗だったとかそんな話あの時うんとしたからね。
そういうのはちゃんと覚えていましたね。
本当?じゃあいよいよちょっとKEIKOさんからのメッセージを…。
これ随分しばらくぶりでしょ?彼女の声が公に出るのって。
そうでもない?久しぶりですね。
テレビでは初めてじゃないですかね。
テレビでは初めて。
病気以来?はい。
じゃあテレビでKEIKOさんの声を聞かせていただきます。
じゃあKEIKOさんお願いします。
「徹子さんお元気ですか?globeのKEIKOです」「前回おじゃましたのは13年前なんですね」「病気をしてもう5年になりますがだんだん元気になってきてます」「またお会いできるのを楽しみにしています」「それでは失礼いたします。
KEIKOでした」すごい理路整然。
うんそうですね。
まあ何回か練習しましたけどね。
そう?でも落ち着いた感じで。
そうですね。
ねえ。
でもあの方のお家はふぐ屋さんでしたけどあなたはお魚あんまり好きじゃないの?僕は食べれないので。
食べれない?だからよく招待するんですけど知人とかは。
食べてるところを見て「どう?」って聞いて。
そうなの?ええ。
違うものをちょっと召し上がるっていう感じ?僕は違うものを出してもらってて。
賄いみたいな感じのを用意していただいてですね。
お魚駄目?そうですか。
駄目なんですね。
もう生涯駄目でしょうね。
でもお義父様もふぐを何とかして…。
それはあなたになの?食べさせようと思って細く切っておそばみたいに見せて。
そうですね。
あちらのお父さんももう亡くなってしまいましたけど。
まだ結婚する前ですね。
globeのメンバーの実家に…自宅には一回ぐらいは行ってみようよってもう一人のMARCと2人で行ってみたんですよね。
で行ってみてそれでその時に。
あなたに?なんかふぐはお魚の味がそんなしないから細く切っておそばみたいにしておそばのおつゆつけるようにしてくださったんですって?そうですね。
麺つゆで。
麺つゆ?でもふぐを麺つゆで食べるっていうのも相当ねもったいない話だけど。
そうですね。
どうでした?そしたら。
あの…食べましたよ。
食べました食べました。
ちょっとね。
やっぱり。
そういう時ってしょうがないもんね。
しょうがないです。
でも以来召し上がってない?食べてないですね。
どうしたって?骨折?今年ですね。
今年そうですね。
あの…ちょっと友人たちが集まってるところに夜行ったらですね。
「トイレ行きましょうよ」って言われて「行こうか」って言った時に立ち上がった途端に駄目だったんです。
自分では平気だと思ってて…。
生まれて初めてだったので。
立ち上がった途端にもう1カ所を折っちゃってこっちとこっちに今…。
要するに初めに折れた時は長くこうやって座ってて急に立ったからだったの?そうですええ。
そしてそれで折れちゃったと思ったらその次もう一回折れちゃったの?そうですね。
するともう全然歩けない?ぶらんぶらんな感じになっちゃって。
あら嫌だ。
おぶってもらって車…。
おぶってもらうぐらいのことなの?あら嫌だ。
それで僕も病院そのまま行って。
粉砕骨折?そうですね。
今ボルトが入ってますけどね。
結局ボルト中に入ってるんですか?入ってます。
大変だわね。
それで行って入院したんですか?そうですね。
2カ月半ぐらいですかね初めて。
そんなに長く?でもそうすると今度しばらくすると歩けなくなるでしょ?練習しましたけどね。
ああ本当だ。
やってるやってる。
こんな?相当…。
KEIKOさんも来た?KEIKOは…くも膜下で入院してた病院に僕も入院して。
あなたも?同じところだったの?同じ部屋を取ってくれたんですよねまたね。
病院が?どうしてかわからないですけど。
それで何となくでしょうね本能的に…。
すっ飛んじゃってるんですよ記憶は…。
何号室とかねそんなことは。
そういうことがあったことも。
何となくでも怖いというかそこに来るのは怖いみたいで。
で「もういいかな?帰って」みたいな感じで…。
来てるのに?一回一度来てくれたんですけど一回ですぐニコニコ…。
さっきも言ったようにもう躁ですからもう…。
もう全然前向きですから「大丈夫大丈夫」みたいな…「見せて見せて」みたいな感じで。
傷口見せたりとかして。
で「また退院する頃に来るね」って言って…。
2カ月半入ってたのに?2回来てくれましたけど。
そう。
でも2回来てくれた?でもやっぱりどこか嫌なところが記憶の中にあるんでしょうね。
なんかこう周り見てですね「もういいかな?」っていう感じで。
でもそういうのってさ…。
そういう感じですね。
わかります。
いつもと違うから…。
忙しい時はしょうがないけど退屈しないっちゃ退屈しないでしょ?そういう方と一緒にいると。
そうですね。
退屈しないですね。
うるさいぐらいですよね。
だってそうだと思うわよね。
「お願いちょっと黙ってて」っていう感じですよね。
そう。
なので全然それでちょっときつく言っても短い時間のことは忘れちゃうので…。
そうか。
大丈夫なのね。
忘れてくれるので。
その時はちょっとあれするけど忘れる?それをいつまでも覚えててさ…。
覚えてねちねち言われたりとかするのも…。
だったらもう全然違いますよね。
でも前は奥さんに支えられてたっていう感じなんだけど…?もう完全にそうですよね。
前は。
今はどうなの?今はですねたぶんですけどまあそうだな小学校の高学年とか中学生の…中1ぐらいとかわからないですけどそのぐらいですかね。
そのくらいの頃?まだパパとかっていうのが…「パパ大好き」とかって言ってくれる感じありますよね。
いわゆる思春期とか反抗期とかの前の女性…女の子。
非常に純粋な…。
純粋。
まだ全然パパと一緒にどこかへ出掛けるのが楽しいとか。
そういう感じ?そういう感じだと思いますね。
たぶんそんな感じだと思います。
でも可愛いっちゃ可愛いでしょ?そうですね。
何だろうな?うーん…。
とにかく明るい…。
すぐ忘れたりするのが可愛いといえば可愛いですよねそういうのね。
まあそんなことがあるんですね人生にね。
そうですね。
僕も色々ありましたけども本当に。
でも音楽をやっていく…やることはすごい素敵だなと思ってくれてるので。
それだけははっきりわかってくれてるので。
一番大事なこと?あなたにとってはね本当のことを言うと。
で「えっ歌えないの?」っていう感じで…「桂子ちゃん」っていうか…。
カラオケ1回か2回…3回ぐらいかな?行ったことあるんですよ。
連れていったこともあるんですけど。
歌わないの?歌うんですけど1番ぐらいで飽きちゃうんですよね。
飽きちゃう?飽きちゃうんですよね。
ちゃんと歌おうと思うかしら?そうじゃなくて?ちゃんと歌…あんまりちゃんと歌えないかなみたいな感じで。
そう。
そんなことってあるのかしらね?あるんですよね。
それがちょっとね。
あれだけ歌好きそうだったのにね。
歌は好きなんだけれどあんまりもう…そうですね。
ちょっとなんか「忘れちゃった」とも言ってましたね。
なるほどね。
声の出し方やなんかが…。
ちょっとそういうのが。
そうでしょうねきっとね。
そういうのも言ってる時も笑いながら言うんでねなんか。
「忘れちゃったんだよね」みたいな感じ。
「どう高い声出すんだっけ?」みたいな。
そうね。
そういうの全部テクニックだろうからある程度ね。
そういうのを確かに忘れちゃうようなね…。
あの時あんな奇麗なね声で歌えたのにね。
でもまあだんだん良くなると思いますよ。
そう思ってましょうよ。
そうですね。
今は可愛くていいじゃないっていう感じね。
小室さんの今年の活動の一つにこの9月にオーストリアでなんか面白いメディアアートの祭典っていうのがあって。
そうですね。
初めてアートっていうものに参加したというか。
それちょっと見せていただいて…まずね。
とても面白いものなの。
はい。
これ足跡。
靴の跡。
靴の裏ですよね。
そうですね。
靴…そうですね。
教授のお考えなんですけど踏んだ時にどうなるかって…圧力で地球がどうなっていくかっていうのを…。
みんなが踏んでると?踏んでるんですよね。
やっぱり確かに外側に広がってますよねちょっと。
グッてなるんでしょうね。
地球踏まれてるんですねこうね。
すごいね。
そんな研究してる人がいるの?全員皆さんこういう感じで歩いてるんです。
一歩一歩がね。
本当ね。
それの音楽をお付けになったの?そうですねこれを見ながら。
これが音がなかったらまたちょっと違うものになってるんですけども。
靴のソールの圧力を可視化したものだとかっていうんだけど。
そのとおりですね。
えー。
でもみんな…。
あっこんなふうに。
みんなが歩いていくとだんだんあんなふうになっていくんですかね?今も皆さん一歩一歩がこういう感じになってる…。
大変。
すごいわね。
それをアートにして音にするとエンターテインメントになるのかなっていう。
色んなことが可視化で…。
そうですね。
でも随分あちこちで12月ですか?坂本龍一さんのお嬢さんと?そうですね。
美雨ちゃん。
ご縁で。
またそれも随分ご縁ですよね。
坂本龍一さん…。
パパの音楽が一番好きみたいなことでいいはずなのに…。
もちろん尊敬されてますけど。
なんですけど「小室さんのファンになった」って…小学校の時に僕のファンになってくれて僕のヒット曲を…。
やっぱり僕のファンでいてくれたのでどの曲でもカラオケみたいに歌ってくれるんですよね。
いいわね。
「これできる?」「これできる?」って。
本当?「歌えますよ」「歌えますよ」って。
なので僕の楽曲を歌ってくれる。
そう。
それはラッキー。
さてもう終わりなんでちょっと…。
KEIKOさん。
KEIKOさん黒柳です。
今日はお手紙…お声の手紙をくださって…。
やりますかね?いいですか?いきますよ。
はいポーズ!
(シャッター音)どうもありがとうございます。
2016/12/13(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 小室哲哉[解][字]

〜テレビ初!妻KEIKOから肉声メッセージ〜小室哲哉さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
音楽プロデューサーの小室哲哉さんが12年ぶりに登場!90年代の音楽シーンにおいて「小室ファミリー」は象徴的な存在だった。スタジオでは時代を駆け抜けた代表曲とともに当時を振り返る。
◇番組内容
数年前に他界した父は音楽の道に進むことを反対していたが、晩年は音楽をやっていることを誇りに思ってくれたと語る。妻は音楽ユニット「globe」のボーカルKEIKOさん。彼女は2011年にクモ膜下出血で倒れ、現在も療養中。今日は妻との暮らしぶりを明かす。ベストテンの大ファンだったKEIKOさんは13年前に『徹子の部屋』に出演し、黒柳さんとトークで盛り上がった。そんな彼女が黒柳さんに肉声メッセージを寄せる。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)