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書き起こし 徹子の部屋 102歳の写真家・笹本恒子 2016.12.19


(黒柳)「2016年今年私が“気になった人”ウィーク」。
皆様レッドカーペットすごいです。
今日のお客様です。
華やかな映画祭のレッドカーペットを踏んでいらっしゃるのが今日のお客様です。
報道写真家の笹本恒子さん。
現在102歳でいらっしゃいます。
ますますのご活躍とても嬉しいです。
今日はなぜあのレッドカーペットをお歩きになったのかとかどんな賞をお取りになったのかとか色々伺います。
よろしくお願い申し上げます。

 

 

 


(拍手)今週は私が今年注目した特別な方々においでいただく週の第1日目のお客様ですけども笹本恒子さん。
現在102歳でいらっしゃる写真家でいらっしゃいます。
現役の写真家でいらっしゃいます。
お生まれが大正3年です。
1914年第1次世界大戦が勃発した年でもありました。
それからまた東京駅が開業っていうんですかね?東京駅が初めてみんなにオープンした時の年でございましたので東京駅と大体同じ年でいらっしゃるんですね。
そうなんですね。
すごい。
東京駅と同じ年の方で。
それから9歳の時に関東大震災をご経験になって。
関東大震災のことを覚えていらっしゃいます?よく覚えてます。
9歳ですからね。
どこら辺に住んでいらした…?目黒です。
そう…。
ちょうど学校へ行って帰ってきて宿題をその明くる日9月2日に持っていくので縁側で作っていた時に…。
ガタガタ?はい。
それで表へ飛び出しましてね…。
そんな思いをいたしました。
でも目黒のあの辺はあんまり焼けはしなかった?焼けはしなかった。
でももう向こうには新橋まで焼けてきましたからね…。
そうですね。
煙はよく見えてましたね。
そうですか。
じゃあ鮮明な記憶をお持ち…全てのことにおいてそんなふうに覚えていらっしゃるっていうことなんですけれども。
今日…お召し物はいつもおしゃれでいらっしゃる…。
ベストドレッサー賞もお取りになったんですけど。
今日のそのおしゃれの…。
たぶんこれはえー誰かが知ってましたけど私忘れた。
どこかに書いてありました。
でも全部小さいところも…四角い小さいところも全部…。
手作りですね。
全部手でこういうふうにやってあるんですね。
そうですわね。
それからなんかお手製のネックレスもしてらっしゃるんですか?これはねそうです。
自分で作った…。
ご自分でお作りになったんですって。
焼き物です。
焼き物にガラス入れてねこれで額やなんかずっとね作ってました。
そういうものをご自分でお作りになったの?はいそうです。
すごいへえー。
すごい何だか…。
ネックレスもそうでいらっしゃる。
それから…。
これこれこれ。
それは?指輪。
指輪。
お作りになったの?違うの。
これ「オニキスの指輪が欲しい」って言ったら売り屋さんが「はい。
これありますよ」って。
「素敵。
あら素敵。
高いでしょ?」って言いましたら800円でした。
フフフ…。
本当の?本当の?でもそれ本当のオニキスで?いやあれですね。
何でしょう?これ。
セルロイドみたいな…。
へえー。
でもこの細工はねこれだけでも大変なの。
本当ですね。
本当800円とはとても…。
できませんよね。
とっても素敵。
特にお似合い。
こういうシャープな線のものがお似合いになるんで。
そういう白いおズボン白い靴っていうとてもおしゃれで…いつもおしゃれでいらっしゃるんですけど。
それでまあそういうことで写真界のアカデミー賞といわれているルーシー賞って…。
『アイ・ラブ・ルーシー』のルーシーじゃないですよ。
あれだとちょっと喜劇女優さんの賞をもらったみたいで。
ルーシー賞というプライズですね。
それをお取りになったんです。
生涯を通じて写真界に貢献した個人に与えられる賞でございます。
それをおもらいになったということで。
ニューヨークのカーネギーホールで本当は開かれる授賞式にいらっしゃろうと思ったんだけどそれは断念なさったんだけど。
そしたらトロフィーが送られてきたそうで。
これがそのトロフィーです。
へえー。
これどこかに写真機かなんか付いてるんですか?どうでしょう?金色で。
ちょっとアカデミー賞みたいに見えますね。
色んなことがたくさん今年はありましたので…。
三笠宮さま戦後間もなく…。
この間つい先頃お亡くなりに…100歳でお亡くなりになりました三笠宮のご一家をお撮りになった?はい。
当時としてはもう…。
あっこれは三笠宮さまですね。
昭和天皇の弟君でいらっしゃった…。
そうでいらっしゃる。
昔はもうこういうような方を写真に撮るっていうことはもうないこと?全然駄目でした。
全然駄目?でももう宮さま自体が「民主化の時代になったんだからいいじゃないか」って仰ったんですって。
それで秘書の人を口説いてそしてお許しが出ましてねお宅まで伺いました。
あららら。
それで普段の生活をお撮りに…。
あら。
これね。
これ。
えー。
こちらの左側に突き出てる人はもしかしたら仁さん…。
かもしれません。
おヒゲの殿下だったかもしれませんね。
あちらにお父さん。
でもこんなふうにみんなでご一緒にご飯召し上がっていらしたんですか?はい。
へえー。
それは宮内庁がなかなか大変だったっていうのを…そしたらば殿下が「今は民主化の時代だからいいのではないか」と仰ったそうでこんなふうにお勉強の…ご自宅で。
そうですね。
和服ですね。
んっ?和服着ていらっしゃるのね。
本当にそうですね。
古代オリエント史でしたか?そうですそうです。
お勉強でいらっしゃいましたよね。
それで…。
なんかあの…ここにいらっしゃってお写真をお撮りになる時どんなお気持ちでした?なんか恐れ多いというようなあれは心底にございましたけどねとても穏やかに普通の…。
あちら百合子さま。
あちら百合子妃殿下。
随分お若い頃で…。
そうですわね。
戦争が終わって2年目ぐらいですかね。
宮さま自体が「民主化の時代になったんだからいいでしょう」と言ってねそれでお許しを得て。
宮家へ入ったのはだから私初めてでございました。
当時としては大変だったでしょうね珍しいということで。
でも三笠宮さまという方は非常に気さくな方でお帰りになる時玄関で靴べらお渡しくださったんですって?そうなんです。
普通ねどんなお家へ伺っても社長様なんか玄関までお見送りくださらないでしょ。
それを妃殿下と殿下とが一緒に送ってくだすってパッと敷石のところへ下りて靴べらを「はいどうぞ」って渡してくださいましてね。
まあお優しい。
本当に恐れ多いと言いたくなるぐらいなね雰囲気でしたわね。
でも宮内庁の職員は有史以来と言ってみんなとても驚いたそうですね。
笹本さんがお家の中にお入りになってどこでもお撮りになれるっていうことがね。
そうですね。
でも三笠宮さまは非常に…。
あっ電車…えっ?これ電車でしょうかしら?バスです。
バス。
バスですが…。
バスで目黒駅からあれは何でしたっけ?女子大まで通っていらして…目白です。
大変。
えー。
これはバスで目黒の駅にいらっしゃるところかしら?でもまあ戦争が終わって民主化の時代になったっていうことがやっぱりはっきりしたでしょうねああいうお写真でね。
そうですよね。
でもそれをいち早く殿下が…三笠宮さまがご自分で…何ていうんですか?お決めになって?そうですわね。
さて先ほどのレッドカーペットのお話に戻りますと東京国際映画祭で今を時めく色んな俳優さんやなんか監督とか色々どんどん…。
そこのところに笹本さんがお通りになってる…本当にレッドカーペットなんですけど。
そこのところをちょっと見せていただきましょうかしらね。
そうなんですの?知らなかった。
そうですか。
雨だったんですね。
ここレッドカーペットのところ。
ああそうですわね。
まあ大変。
あららららら…。
本当だ。
あっあらららメリル・ストリープさん。
ああ…。
今ものすごく面白い映画が上映されて…。
あっいらっしゃいました。
恥ずかしい。
お元気そう。
お花お持ちになって。
(司会)「『笑う101歳笹本恒子むのたけじ』の皆様にお越しいただきました。
どうぞ拍手お願いいたします」随分あれですねなんか格好のいい男の人が…。
『笑う101歳×2』ということでドキュメンタリー映画なんですけど。
そこでちょっと私生活を…写真家としての私生活を撮られていらっしゃるんですけどそこちょっと見せていただきます。
東京での一人暮らしで転倒し大腿骨を骨折した
発見されるまで丸一日気を失い部屋を浮遊した幻想を見たという
まさに九死に一生を得た
久しぶりにカメラを持って外出した
(男性)「ここでしよう。
ここで写真…」
(笹本)「ちょっとストップ。
坊やストップしてよ僕」101歳で写真家としてあんなふうに…。
残念なのはその…大腿骨骨折っていうのはちょっとプランになかったことだと思うんですけど。
残念。
こっちを折ってそれからまたこっちを折ってしまい…。
あら!そう。
病院に入院していてベッドに腰掛けてこう整理してましたの。
スルッと滑って腰をついただけでこっちが折れちゃいました。
あらー…。
せっかくこっちが治ったのにね。
悔しかったでしょう?はい。
もうもうもう…。
それで結局はルーシー賞もいただきに行けなくなりましたのでね。
カーネギーホールでなさったっていうのに…。
行けなくなりましたね。
これを取りにねいらっしゃれなかった…。
そうなんです。
リハビリとか色んなことがあるんでお家が…何ていうんですか?老人ホームみたいなところ?ホームに入っております。
いらっしゃるんですけどそこのところのお部屋にですね…。
ここですか?随分大きいんですね奇麗な。
それでびっくりすることにはですねワインの入ったワインセラーがお部屋にあって。
これですね。
そこの下のところにあるやつ。
なんか一升瓶みたいなものもありますけどあれワイン?ワインワイン。
びっくりした。
一升瓶かなと。
一升はいらないです。
一升はいらない?でもお酒は必ず召し上がるって仰いましたよね。
ワインはねもう毎日いただいてます。
お肉もって仰いましたよね。
はい。
500グラムでしたっけ?お肉ですか?いえ今はもうそうはいきません。
500グラムということはない?ないです。
50グラムか。
そうそう。
50。
500だったらこんな…。
50グラムぐらい?ずっと?そうですねはい。
でもおみ足の骨折のことではさぞ悔しがってらっしゃるだろうと思うのはこの前においでいただいた時は「これからフランスに老人ホームの写真を撮りに行くの」と仰って…。
ああそうでした。
お元気ですたすた歩いてらしたんですその時。
ちょっとね残念。
まいりました。
そう。
パリの郊外にね。
そうですそうです。
ええ。
ですから今きっとリハビリしながら悔しいって思ってらっしゃるだろうなと思って。
でもまあああいう生活の中でまた色んなことがあると思うんですけど。
笹本さんそうやって102歳まで写真をお写し続けていらっしゃいまして。
一回ご結婚なすったんですね。
はい。
それで20代に結婚なさってなんか30代で離婚なすったそんな波乱な人生も含まれている今の映画なんですけどもう少し見せていただきます。
結婚して10年で2人は離婚した
老人ホームで暮らすようになり別れた夫の写真を飾ることにした
「“別れたい”と言ったのがこれが私の一生のオーミステイクなんです」
自分で望んで一人に戻った
その孤独の中で自分を見つめ直した
現在執筆中の本の題名は『花あかり』
1つの花を選び花にまつわるその人への思い出を書いている
祖母の辞世の句から言葉をもらった
(笹本)「時々書いてると悲しくなってもう泣いて書けない時もあります」
(男性)「どうして?」
(笹本)「やっぱりその方のことを思い出してね」「特に両親のことなんかは」でもその離婚なさった方は13年前に残念だけど亡くなったんですけどもその方が再婚なさった奥様が亡くなったあとに一人でお暮らしになるようになってからお会いになってなんかお侘びを仰ったんですって?もう彼が90歳になってましてねその時私が1つ下でしたから。
で本当はお互いがフリーだったらばアフリカへ行きましょうとかニューギニアに行きましょうとか言ってましたけどもうお互いにもう90歳と89歳。
行けませんでしたけどね。
でその彼が亡くなるお葬式までちゃんとまいりました。
そうでいらしたんですか。
やっぱり90歳の終わりぐらいに亡くなりましたから。
でも男性としては長生きなさった方でしょうかね?そうですわねはい。
でもさっき仰ったけども「離婚なすったのはオーミステイク」と仰って。
そうですそうです。
いい方だったでしょうねきっとね。
知的そうな方でね。
とても穏やかな…。
そうですか。
これ左側笹本さん。
すごい可愛い。
なんか女の子っぽいお洋服で。
みんな手作りです。
ご自分の?はい。
すごい。
ご自分の手作り。
だって当時こんなのね売ってるのはないですもんね。
そうですわね。
お袖がちょっと膨らんでて。
すごく可愛い。
でも知的そうな方だなと思います。
でその方は別に写真を撮ることに関しては何にも仰らなかった?はい。
彼も写真家でしたからね。
そうなんですか。
写真大学の教授になっておりましたから。
あららららら。
ちょっとそれじゃお二人で写真家っていうのも相当良かったでしょうね。
まあそうですわね。
「オーミステイク」の中にはそれもあったかもしれません。
まあそういうこともあったりしたんですけどもそういうふうに暮らしていらっしゃる時にお父様とお母様のことを時々思い出していらっしゃるって?そうですね。
母がとても理解がある人でしてね。
戦争中でしたから「トラックいっぱいの女性に男一人」っていう…。
ああみんな戦争へ行っちゃって?これ父と母です。
本当?恥ずかしがってます。
時代がねあんな…おぐしがあんなね本当の日本髪。
1週間に1ぺん髪結いさんが来て我が家でやってくれますのね。
えー大変ですね。
寝る時だって何だってねあんな箱枕みたいな…。
あれして寝てました。
そうでいらっしゃる?でもそういうお母様で理解のあるお母様だった。
その当時は戦争中でございましょう。
ですから「トラックいっぱいの女に男一人だから早く見合い結婚しろ」なんて…。
あら失礼な。
言われる時代でした。
でも母は「そんなこと関係ないのよ」って。
「あなたはしたいことがあるんだからしたいことをしててもしいい人があったら結婚しなさい」って。
非常にねそういう目で見ててくれましたね。
当時としてはすごく理解のあるお母様ですよね。
理解がありましたわね。
みんなね結婚させよう結婚させようっていうふうに…。
そうなんでしょうね。
お父様は呉服屋さんでいらしたんですか?はいそうです。
えー。
新橋のこっちの…銀座ですね。
銀座でちょっと店を持ってやっておりました。
それは随分華々しい。
でもねなんか話に聞きますとデパート攻勢にやられたとか。
そう。
デパートがたくさんできちゃったでしょ。
そうすると老舗の呉服屋でもだんだん…。
でも「仏の清さん」って呼ばれたようなお父様で。
そうですか。
もう本当に。
親戚やなんかも「持ってきてください」ってうんうんって渡して「お兄さんちょっとお勘定は…」「いいよいいよ」ってみんなやってました。
本当に?仏の…。
そういうふうに言われてたらしゅうございますね。
そう。
でもお母様はそういうお父様をとても尊重していらしたって。
大事に…。
そうですわね。
何でももう何でもお父さん第一お父さん第一って子供の頃からしつけられましたわね。
でもそれはやっぱり大事なことですよね子供が父親を尊敬するっていうことは。
はい。
でもあれですよね。
こういう…日常的にこういう格好していらしてね別にほら今だと時代物の芝居に出るみたいですけど昔は本当にこういう感じだったんですね。
そうですわね。
本当に。
お父様もお着物でね。
はい。
父は洋服着たこと…2人とも洋服着たことございません。
そうですか。
もっと皆様驚くことはおばあ様は黒船をご覧になった…。
よく冗談に私「黒船見た」って言われてるんですよね芸能界の中ではね。
でも本当に見てはいないんですけど。
おばあ様ご覧になったんですって?3つか…3歳か4歳の頃におじいちゃんの背中で。
ちょうど小田原へいましたからね海の向こうに黒船が何艘か走って。
すごい。
それを話してくれました。
えー覚えていらっしゃるって?はい。
あらすごい。
この間も小田原へ行きましたけど「鏡信一刀流八段」という石碑が立ってます。
それが祖母のおじいさんです。
へえー。
そう。
ですからこうやって。
八段?はい。
殿様に…小田原城の殿様にご指導していたらしいです。
そういう方で?はい。
その黒船をご覧になったおばあ様がさっきちょっとお書きになった辞世の句をお残しになった。
何という辞世の句だった…?それは「花あかり杖をたよりに死出の旅」。
ああ。
いいですよねすごくね。
ちょっとね…。
すごいです。
胸が迫りますね。
迫ります本当にね。
それは「花あかり」と申しますから桜かと思いましたら祖母が亡くなったのは6月でしたからね。
もうヒメジョオンかなんかのね盛りですね。
でもそのあかりを頼りに「死出の旅」っていうね杖をついてっていう。
でさっきその「花あかり」…花に関した人々の思い出を書いていらっしゃるっていう。
そうなんです。
それから発想しましてね。
すごい。
その黒船をご覧になったおばあ様…。
なるほどね。
84歳まで生きておりました。
あらじゃあ随分長生き。
はい。
その時代ではねとても長生きな…。
そりゃ「黒船を見た」って言ったら相当驚きますよねみんなね。
本当にね冗談みたいにみんな言うんですよね。
だけど本当なんですね。
ご覧になった方…。
そうですそうです。
「どんなだった?」って言ったら「黒い船が並んで走ってて煙が出てましたよ」とか言って。
その時代の祖母なんですけど新聞が読めましたから。
ああすごい。
それはね辞世の句を書くくらいでしたからね。
今週は私が注目した方々…この一年の間に注目した方においでいただく週のお一人目なんですけど。
申し訳ないんですけど気になったことを色紙に書いていただくようにお願い申し上げました。
笹本さんが何をお書きになるかすごく楽しみでございます。
ちょっと見せていただいてよろしゅうございますか?あちらですか?そうですね。
あちらのカメラに向けて。
大変下手な字で昨晩書きましたけど。
人間はいつでも夢を持っていなくちゃいけない。
夢に向かって生きていきましょうという意味からね「夢」という字を書かせていただきました。
本当。
下手な字で恥ずかしい。
いえいえ。
それはあれですか?下がサイン…笹本さんのサイン?そうそうそう。
ちょっとふざけて…。
すごい。
横文字で書いてしまいました。
そうですか。
でも夢…。
でも夢は本当にね持ち続けることが大変ですからね。
今でも夢持っていらっしゃるんでしょ?今でも。
はい。
もうもう欲張っております。
恐れ入りました。
じゃあちょっと…。
こちらでいただいておきます。
でもそういう…あれですよね黒船をご覧になったおばあ様はその他にも俳句をお残しになったそうですけどどんな?結局…。
「おもふこと云わで鳴き行くほととぎす」というですね…。
「言わないで」ってことですね。
そう。
我慢してたってこと。
そうですよね。
ですからその句を読んだ時に…見た時に母はちょっとこう割烹着の袖で目をこすってました。
なるほどね。
「おばあちゃまは言いたいことを言わなかった…遠慮なすったのね」って言ってましたからね。
そう。
へえーなるほど。
「おもふこと云わで鳴き行くほととぎす」。
どうも本当に今日はありがとうございました。
いいえ。
こちらこそありがとうございました。
おみ足早くお治りになってまた活発に写真をお撮りになれることを祈っております。
そうしたいと思います本当に。
だって皆さんがっかりなさいますものね。
ありがとうございます。
このルーシー賞…プライズですね。
これをお取りになったのは写真家として本当に名誉なことですのでね。
ありがとうございます。
(拍手)2016/12/19(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 102歳の写真家・笹本恒子[解][字]

〜現役!102歳の写真家に世界が称賛〜笹本恒子さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
今週の『徹子の部屋』は黒柳さんが注目した“今年の顔”が登場する一週間。そのトップバッターをつとめるのは、102歳の現在も報道写真家として活躍する笹本恒子さん。
◇番組内容
1914年生まれ、25歳の時に日本で女性初の報道写真家となった笹本さん。今年は彼女にとって大いに注目を集めた年。10月には写真界のアカデミー賞と云われるルーシー賞を受賞。75年を超えて写真界に貢献する生き方が世界的に認められた。また、東京国際映画祭に参加し、名だたるスターと共にレッドカーペットを踏んだ。今日はその様子を伝えるVTRを交えて活躍ぶりを公開!他、祖母が遺した辞世の句を紹介しながら102歳の心境を。