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地上波テレビの字幕を全文書き起こします

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書き起こし 徹子の部屋 木の実ナナ 2017.01.12

(黒柳)木の実ナナさんです。
いつも元気いっぱい。
10代の頃と全く変わらない美貌で本当今もステージで輝いていらっしゃいます。
(拍手)よくこの体形を保っていらっしゃるものと感心いたします。
ようこそおいでくださいました。
木の実ナナさんでいらっしゃいます。
相変わらずのミニスカートでまあね本当何よりでございます。
もう本当にミニが大好きで。
本当。
でもすごい。

 

 

 


今のあなたの…何ていうの?この長い芸歴生活の中でこうやってそんな足出してミニスカートっていうのは本当すごいと思います。
あのね一番最初に日本にツイッギーが来た時はかされたんですよ。
でもその時はもう少し長かったんですミニっていっても。
鳥居ユキさんの?はい。
それだけでも恥ずかしかったんです。
それがだんだんね皆さんがそうやって褒めてくれると嬉しくなっちゃって…。
それはそれは。
だんだん?そしたらなんかずっとミニが似合っていたいなって思うようになっちゃって。
すごい。
あれかしら?はい?お年なんか伺っていいのかな?はい。
みんなほら何歳ぐらいの方か見当もつかないと思うのよ。
フフフ…。
本当ですよね。
わからないよね。
いい?全然。
じゃあ教えて。
いくつ?フフフ…。
70でございます。
すごい!みんな…みんな「うわー」っていう声が聞こえましたよ今。
皆さん…テレビの向こうの皆さんもきっとそう仰った…。
えっすごい。
やっぱりあなたぐらいの年でお友達でこんな格好してる人いないでしょ?あんまり。
皆さんやっぱりねドレッシーになられて。
でもなんかこうミニはくとねいつも新鮮でいられる。
そうね。
それからあなた奇麗な足してらっしゃるからそうやって足を出してやっぱり颯爽と歩くっていうのがあなたらしいっていう感じがするので本当に。
ありがとうございますもう本当に。
でもあなたと一緒に舞台でも随分ご一緒したんだけども。
本当ですね。
帝劇で…帝劇?そうそう。
『スカーレット』。
『スカーレット』。
『風と共に去りぬ』の。
そう『風と共に去りぬ』で。
徹子さんは…。
私は金持ち派の家だけど…スカーレットの妹だから。
そうですね。
だけど駄目な…時代とともに駄目になっていくほうなんですけど。
それよりもあの時にあなたがなんか…なんかさ電気通してブツブツビリビリやると顔の肌が奇麗になるっていうのなんかさ売りつけられたっていうのをやったの覚えてない?何ていうんでしょうね?今でこそ…何です?通販とかっていっぱいあるんでしょうけど…。
箱の中から出てるのよ。
覚えてますよ私。
このぐらいの箱でね中でこう電池を入れるとガラスになってて紫色の中に光があって「これを当てるといいの」って言って…。
これがね絶対しわができない…。
でもあれ考えたら40年も前だから2人だってまだ若いんだけどそれでも「絶対しわは嫌だ」って言ってビリビリビリビリ…。
一生懸命こうやってやりましたね。
でもこれ本当に効くのかって途中でさなんかね2人でなんか疑問に思いだしてそのうちなんかやめちゃったんじゃない?そうですね。
あれひと月ぐらい舞台やらせていただいてたから…。
あれ3カ月3カ月。
3カ月ですか?3カ月ですよ。
だから3カ月もあったんできっとこれをやろうっていうことになったのよ。
なったんですね。
でも飽きちゃったんですね。
そう。
途中でやめた…やめた記憶がある。
変化がすぐ出ると思ったらそんなに変化は出るわけではないですよね。
でも懐かしいですよね。
ですね。
そんなに大昔に…四十何年前ですかね?そうですね。
40年…そうですね。
44年ぐらい前ですね。
いやあ…。
そうね。
さてあのコンサート…さっきのビデオの続きをちょっと見せていただきますね。
「危険な愛のこの曲り角」「とても淋しいふたつの心」「私をどうぞ行かせて」「私は唄いながらあなたに別れの言葉を」「Entretoietmoi,c’estfini」「二人はもうお終い」「雨が降ろうがヤリが降ろうが」「朝から晩までおかぐら見物」「ピーヒャラピーヒャラ」「テンツクテンツク」「おかめと鬼が」「ハンニャとヒョットコが」「ピーヒャラピーヒャラテンツクテンツク」「ソーレソレソレお祭りだ」すごい奇麗。
ありがとうございます。
全くね体形変わってない。
それであなた「いつも本当に奇麗ね」って私がいつか伺って「ケガなんかしないの?」って言ったら「うん大丈夫」とかって仰ってたんだけどなんか割と最近すごいケガしたんですって?そうですね。
ケガとのお付き合いはねとても長くて。
本当に?『ショーガール』をやってる時から割に舞台からね…お客様が大好きなんでそばに行きたくなって「もう舞台ないない」って細川俊之さんに言われて…。
「ナナちゃん舞台もうないよ。
前ない」って言うんだけどそばへ行きたくなった時に本当になくてそのままズドンって落っこって座ったまんまそこでまた歌を歌ったりとか。
でも全然ケガはしなかったんですけどちょっと1年ぐらい前に転んで…。
転んで?転んで。
仕事中じゃないの?それは。
じゃないの。
それが初日終わって2日目で…もう緊張して。
えーとね沖縄かどこかだったと思うんですけど。
それで…。
「沖縄のホテルのバスルーム」だって向こうからああいうのが出ましたけど。
そうなんです。
バスルームでそれで…。
でも緊張してるけどやっぱりシャワーとか浴びなきゃと思って。
で目が私悪いからじゃあもう何しろそこで…一人ですから脱いでそれでこう触りながら行った時に段差が見えなかったんですね。
その段差のまんま倒れたんです。
あると思って。
前向きに?はい。
前にバターンって。
怖い。
それで大腿骨骨折。
えっ!大腿骨骨折?骨折。
じゃあもうそこからもう歩いては…。
どうしたの?それでその後。
その後ですねあの…沖縄では担ぎ込まれたんですけど救急車で。
先生が「すぐ東京にお戻りください」って言われて。
ちょうどそのあと東京公演でお休みが5日ぐらいあったんですね。
それでその先生に…いつも診てもらってる整形外科の先生に「もうこれ手術だ」って言って。
「先生手術っていっても5日後東京公演ですからもうお願いしますね」って言って。
結局は手術したんですけど立つことはできなくて車椅子で。
それはできないでしょう。
5日後の公演はどうなったの?やりました。
病院から通って。
車椅子に乗ったまんま?車椅子で。
車椅子で…リハビリの先生とか皆さんがすごく協力してくださったのでもう朝早い時間からリハビリこうやってもらってそれから車椅子の練習。
病院の中をこう…。
すごい。
練習させていただいて。
相当壮絶なリハビリだったんですって?そうですね。
もう「痛い」なんて言ってたら申し訳なくて痛くても「はいはい」って言う…。
「割にいい患者さんですね」って言われましたけど。
でもナースステーションの前そうやって通ったらナースステーションのナースが驚いて?そうびっくりして。
「あっ歩いた」っていう…。
もうそれが皆さん…まさかそんな早く歩けるわけないのにどうなってるの?っていう。
それでその公演中はずっと車椅子に乗ったまんま?はい。
そりゃそうですよね。
はい。
もう全部…全部終わるまで。
終わってからまた入院してましたけども。
そりゃそうですよね。
今は全然平気なの?今はねもう平気っていうかもう気を付け…。
でも夢中になっちゃうから気を付けるっていっても…。
でも足やなんか前のように上がるとかっていうそういうのは?逆に開きますね。
本当に?はい。
フワーッて…こう上げたりっていうのは。
何年ぐらい前だって?1年前ぐらいですね。
そんな簡単に上がるようになったの?ええええ。
すごい。
それはやっぱり先生のお言葉で…。
車椅子に乗っていらっしゃって出演していらっしゃるVTRがあるそうなのでちょっとご覧いただきますね。
ちょっとご覧ください。
いや申し訳ない…。
「おまえさん雨だよ淋しいよ」「日の暮れにポツンとたまらないよ」『南阿佐ヶ谷の母』。
はい。
「おまえさんが持っていったきり傘もないし」「おまえさん雨だよ淋しいよ」「今夜は休もうかと思うんだよ」「あの頃は笑い上戸でこの頃は泣き酒だって」「おまえさん帰っておくれよ」「あたしがあたしが悪かったよ」いやあ…。
おお…。
ああありがとう。
はあ…。
あれ「南阿佐ヶ谷の母」ってどなたかのこと?水谷先生…水谷龍二先生がナナのために当て書きをしてくれたんです。
そうなの?だからそういうのもあったのでもう登場もファーッと出てきてねこうやってやって…。
だからそれがもう…。
だからもう本当に申し訳ないばかりだけど…申し訳ないっていうよりも本当に来てくださったお客様も車椅子の役か…。
そうそうそうそう。
車椅子の役っていうことも考えられるもんね初めはね。
ええ。
だから本当は何とか立ってやろうと思ったんですけど。
それは無理でしょう。
大腿骨なんて。
またそこでねまた何日目にまた倒れましたじゃこれもう立場なくなるので。
でもご自分で乗ってごらんになるとできることなら救急車優先にしてくださいと言わないまでもやっぱり救急車のことを皆さんわかってあげてくださいっていうふうに思うようになるって?そうですね。
だから少しでも早く…。
だからやっぱり救急車のキューキューキューキューってあの…ウーっていった時にはもうサーってよけてあげてもう本当救急車の人たちが本当に…。
救急車に?うん。
通して…病院へ早くっていうのはすごくそういうことも…。
あなたその後今全然…歩いたりしたの?随分。
練習しました。
歩いたって家の階段を上がって…。
下りたり?公演中だったのでまた何かあるといけないからと思って。
その後歩いたりはしない?してます。
まだ最近のことですもんね。
スクワットをやってるんですよ。
スクワット?ヒンズースクワット?そうですそれ。
私も50回毎日やってます。
あれをね見させていただいて。
ジャイアント馬場さんでしたっけ?うん。
ジャイアント馬場さん。
それを私もやらせていただいて。
あれ50回やるよりはね…「やらないよりはやったほうがいい」と仰ったんで。
そうそうそう。
こうやって…やって。
私の自分の部屋がね鏡が多いんですよ。
見られるように?舞台でどこで見られてるかわからないからと思って。
眼鏡こう掛けながらこう…やってるとあっこの姿勢良くないわこの姿勢良くないわってやってるうちに…。
あんまり膝の上に重みをかけるといけないのね。
いけないんですね。
勘違いしてて…重りつけたほうがいいのかと思ってたら駄目なんですってね。
なるたけ膝に重さを…体の負担かけないように。
だけど屈折するようにね。
本当にもう…。
嫌だねこんな話ばかりして。
もっと違う話しましょうね。
ちょっとコマーシャルです。
はい。
あなたの家にはこれからちょっと皆様に見せていただく8ミリがあるんですけど。
お父様そういう機械好きだったの?そうなんですね。
私たちは子供…家族は6畳ひと間なんですけどももう電蓄…。
電蓄って言い方古いですけど。
蓄音機?蓄音機。
トランペッターだったんでうちの父は。
だからそういう電蓄とか8ミリ…。
お父様…これお父様が演奏してらっしゃるところね。
ええ。
8ミリが…。
あとで父が亡くなってから遺品の整理を…もう母なんかは落ち込んじゃってるからじゃあもう…「やっぱり奇麗にしてあげないと」って言って整理してたら8ミリが出てきてびっくりして。
私がまだ小学生の時の…。
あなたの妹さんも一緒に映ってる…。
それちょっと皆さんご覧ください。
すごいの。
ああこれ。
ご飯なんか食べてるところ。
これあなたねお姉さん。
真ん中妹です。
祖母と。
おばあ様?はい。
これあなた?これねおかずがおしんこしかないんですよね。
そうなの?それで母に聞いたらね「混ぜご飯だったのよこの時」って言われて。
そうなの?でもね一生懸命食べてるじゃない?可愛い。
これひと回り違うんです本当に。
妹さんと?ええ。
ふーん。
もう…。
可愛い。
でも一生懸命食べてる。
可愛い。
今はもういいお母さんになってます。
そう。
良かったわね。
はい。
あなた面倒を見てる。
撮ってるからね。
「撮ってるから見なさいよ」なんて?寝てるところ。
そうこれ…。
もうね寝返りが打てないんですよね横におばあちゃんいるから。
怒られて。
首だけこうやって動かしててそれで姿勢が良くなったんじゃないかって。
手なんか振ったりして。
頭もそのままたんすですから。
可愛い。
テレビあったのねもうね。
すごい。
ちょうど今の天皇さまが…皇太子さまの結婚の時になんか町内で何台か買って…。
あんな時なのねそれじゃ。
そうですね。
12歳年下の妹さん。
はい。
でもあなたはもう本当に妹さんのお父さん代わりみたいになって…。
そうですね。
やっぱり…父がやっぱりまあ体調あまり良くなかったので…何しろ私自分も中学だけしか…。
だから妹はちゃんと学校行ってお嫁さんになるまで面倒を見る。
それがなんか…。
偉い。
ここまで長くやってこれてるっていうのはありましたね。
すごい。
ああ結婚…。
これ妹の結婚式。
すごいわね。
これ私思い切り泣きましたね。
そう。
これ右があなたなの?この毛のすごい人が。
はい。
妹さんこの奇麗な白無垢で?この時泣いたの?そうです。
それは泣くでしょうね。
私が本名鞠子っていうんですね。
あなた本名鞠子っていうの?鞠子。
で「まりこ」って割に多いじゃないですか。
「まりこ」。
だから親は妹はない名前…あまり使われない…。
で味摩子っていうんですよ。
言いにくくて。
味摩子さん?名前…赤ちゃん生まれて呼ぼうと思う時に名前わからなくて…貼ってあるからあそこを見て「あっ味摩子」って。
味摩子ちゃん。
本当味摩子ちゃんだわね。
味摩子ちゃん。
味摩子です。
味摩子ちゃん。
それで本当に自分の子供をお嫁に出したような気がしたんですって?そうですね本当に。
あの…まあ父も母も喜んでくれて。
そう。
良かったね。
でもそのあとあなた妹さんと一緒にテレビにお出になったでしょ?『誘われて二人旅』っていうのに。
2人でね。
妹がまだ結婚する前に。
結婚する前なのね。
はい。
随分前ですね。
随分前。
30年前っていうことです。
30年前…?すごいね。
ハハハ…。
笑える。
うわー。
えっ!可愛い。
どこへ行ったの?これ。
これね九州のね…。
端…九州の端っこっていうのおかしいけどね。
呼子のほうじゃ…。
(味摩子さん)「入ってくるところ見えるの」へえー。
可愛いわね。
あらー…。
(木の実)「みんな窓大きいわよ。
どこがいい?」すいてるわね随分。
「こう走ってるんだよね。
こう走ってる」「向こう。
うん」「ほらこれが開くんだよこれがほら。
懐かしいな!」窓が開いただけであれだけ喜んで…。
「東…」「何?」「一番ね…」「何?聞こえないの!」「東の駅は何だ?」「東の駅?知るわけないでしょお姉ちゃんが」「フフッ。
そうだよね」でもすごくなんか面白そうな質問だったわよ。
駅の何とかは?とか言って。
この時はだから私は妹は結婚するまでと思ってたんです。
本人は「私はお嫁いかないからね」ってずっと言ってたんですよ。
そしたらある日「彼を紹介したい」って言ってえっ!って。
このあと?うん。
良かったって思って。
いい人だったの?その人。
ええ。
良かったわね。
そうですね。
その方と結婚なすってもうお子さんが生まれて…。
はい。
あなたにとってみるともう孫の気分?孫。
もう本当にもうね妹のおなかの中にいる時から嬉しくて嬉しくて。
自分の家になぜかですよベビーベッドを買ったり色んなことをしてもうディズニーの映画のように色んなものをチカチカチカチカさせて。
今もう何歳になったの?今二十…平成元年ですから29。
その子?はい。
その抱いてた子が?こんな子がもう…。
じゃあすごい…。
そうですね。
あっそう。
可愛くて可愛くてもう自分の本当に孫。
孫?話違うけどあなたに体形を維持する秘訣はどうするんですか?ってお聞きになるでしょ?フフフ…。
体形…うちね何でしょう?妹もそうですし母もそうなんですけど同じ体形なんですよね。
へえー。
太らない?で洋服も…私の洋服が今日着ていこうかなと思うとその洋服がなかったりすると母がそれを着て違うところへ行っちゃったり。
すごいわね。
靴もサイズも同じで。
お母様って今いくつ?すごいですね。
お母様すごい年じゃない?そうですね。
えっと…何しろ自分で洋服買ったことないっていう…。
全部私のを着てたっていう。
2人で。
テル子さん。
これお祭り。
もうね私がお祭り好きなもんですからついて回るんです一緒にね。
もう何しろ一卵性親子って言われたぐらい仲良しで。
でもあなたさひと頃そういえばものすごい何でしたっけ?女性がある年になるとなるようなやつになったじゃない?あなたがすごい…。
ハハハ…。
はいはい。
更年期。
更年期。
あの時お母様まだいらしたでしょ?そうですね。
聞いたんです。
「更年期ってどうなの?」って言ったら「覚えてない」。
なかったんでしょ?きっと。
「覚えてない」って。
あなたとびきりすごいのになったって言ったもんね。
大変!あなたあしたコンサート。
もうだからちょっと上ずってるんですね私ね。
下北沢でなさるんですって?はい。
本多劇場でやらせていただいて。
もう何でしょうね?本当に私和洋折衷好きなんで自分の好きなものをこういうふうにこういうふうにこういうふうにお願いしますって言うとお衣装のデザイナーの方工夫してくださって。
さっきも映ってましたけどミニスカートの後ろが帯とか。
そうそうそう。
素敵だったわねあれ。
長襦袢のドレスとか…。
意外といいものですね。
『木の実ナナコンサート』。
そうです。
下北沢1月13日からね。
あしたからですね15日まで。
もうまたミニもはかせていただいて。
もちろんです。
おみ足見たい方はどうぞいらして…。
ところでこれはですねびっくりしたんですけどあなたがデビューしたばかりの時に永六輔さんからもらった手紙っていうのがあってちょっと長いんで短くしたんですけど。
はい。
すごい…よく取ってありましたね。
もう私本当にデビューしてから誰もなんか見てくれてないのかと思ってたらお手紙をいただいて。
もう今は日劇ってありませんけど…日本劇場ってありませんけど日劇で踊ってる時にお手紙をくださって。
永六輔さん。
ちょっと読みますね。
ありがとうございます。
「木の実ナナ様舞台拝見」「僕は貴女と仕事らしいことはしていないけれど最も関心のあるタレントの一人です」「芸能史の研究家学者のタマゴがその独断と偏見で書くのだとそういう男もいるのだと考えて下さい」「決して日劇の舞台の批評ではなく貴女の将来についてのことです」「僕は木の実ナナこそ粋な芸人になれる有力なホープだと信じています」「ハッキリいうと現代は粋でなく野暮の時代です」「しかし貴女は粋なのです」「しゃれているのです。
都会人なんです」「シックでスマートでセンシティブで」「粋とは何だか考えよう」「A色っぽくなければいけない」「Bあっさりしてなければいけない」「3気骨がなければいけない自己主張」「この3項目が守れるかどうか」「選曲でも衣装でも何でもその場の思い付きでない将来を計算してのものかどうかそういう仲間を持てるのかどうかがショーマンとしての木の実ナナを育てるものだと思うのです」「どうぞ努力してください。
永」はい。
こんな長い手紙を永六輔さんが書く人だとは知りませんでした。
もうだから…本当に永さんのお手紙から本当にそのとおり…。
今あなたが仰ったとおりのことですもんね。
これに書いてあることが。
はい。
今度…すぐあしたからおやりになるのも。
はい。
本当に大好きなスタッフ信頼するスタッフたちといい舞台をやって本当に粋にやらせて…。
着物を着てね。
ええ。
洋服着物?洋服着物。
洋服を着ても…こういうふうになっちゃうんですけど。
そういうなんか着物でも…ごめんなさい。
洋服でも着物を着てる風情で歌ったりとか。
なんか何か必ず永さんのお手紙は読んで…いつも持って歩いてる。
そう。
でも良かったわね。
本当…。
目にかけてくださったっていうかね。
本当にありがたいです。
永さん…。
なかなかそう…永さんっていうのはこんな長い手紙を人に書いたり…大体2〜3行で終わるんですから。
だから永さんは亡くなってないと思ってます。
そうですね。
それが一番いいと思います。
そうだそうですよ永さん。
どうもありがとうございました。
ありがとうございます。
徹子さんありがとうございます。
2017/01/12(木) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 木の実ナナ[解][字]

〜70歳…驚異の美脚にアクシデントが!!〜木の実ナナさんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
中学時代にデビュー、瞬く間にお茶の間の人気者となった木の実ナナさんが登場。
◇番組内容
昨年舞台公演中に滞在した沖縄で大腿骨を骨折したナナさん。急遽東京に戻り手術をしたが、10日後の東京公演に向けて壮絶なリハビリを行い舞台復帰を果たした。その快復力はナースステーションでも話題になったと笑う。
父親の趣味は8ミリ。昭和35年頃に撮影した映像には祖母や母と共に「私が育てた」とナナさんが豪語する12歳下の妹の姿も。当時すでに仕事をしていたナナさんの楽しみは妹の成長。嫁に出した時は涙が出たと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)