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書き起こし 徹子の部屋 大和田伸也 2017.01.25

(黒柳)うわー。
精悍な角刈りの美青年。
皆様どなただとお思いでしょう?これ44年前の今日のお客様です。
まあ本当に可愛らしい。
この方ですね。
俳優の大和田伸也さんです。
どうもこんにちは。
どうも。
大和田さんといえばUFOをご覧になったりだとかおやじ狩りに遭ったりだとか色んなことがあったんですけども本当に素晴らしい夢をこのたびなんかね…。
はい。
大和田伸也さん今日のお客様です。

 

 

 


(拍手)昔からの夢を一生の夢を…大事にしていらした夢がとうとう実現したということでございますのでそのお話も伺いますけど。
そういう夢を持ってるっていうのもいいなと思うし実現できる夢で良かったですよね。
そうですねはい。
あとからちょっと伺うことにいたしまして。
ちょっと軽くあなたの何ていうんですかね?略歴っていうの?早稲田大学にいらっしゃいまして。
それから皆さん劇団四季にいらしたのを皆さん割とご存じないと思うんですよ。
そうですねはい。
だから歌歌ったりなんか?そういうのもやってましたけど日生劇場を中心にしてストレートプレイもやってたんですけどね。
どっちかっていえば芝居のほう?そうでしたね。
でもミュージカルもやってました。
四季ですからね何ていってもね。
それからNHKの朝ドラの『藍より青く』の主役で大ブレーク。
それでみんなこの方のことを大和田伸也さんってわかったんですけど。
そのあと『水戸黄門』の格さん。
これが長かったですね。
そうですね。
当時視聴率も割といい時で常に40パーセントを超えてたという。
すごい。
東野英治郎さんと里見浩太朗さんと私で…私格さんで。
すごい配役ですよね。
時代ですね。
そうですか。
それでちょっとお持ちしたんですけどこの印籠なんですけど…。
えっ?この印籠をね悪いけど…。
頭からじゃなくて後ろから出ましたね。
頭から出すと思った?これ。
こっちから「この印籠ですけど」って?これあなたお出しになる時の言葉っていうのはなんかあなたが最終的にまとめたんで…。
そうです。
あなたのになったんですって?当時色んな言い方があったんですよ。
じゃあ悪いけどこれを持ちながらちょっとお出しになっていただいて…。
えっ!その時にあなた何て仰ったの?逸見さんっていうプロデューサーと相談して一つにまとめようじゃないかと。
で一定の言い方に決めちゃったんです。
そうなんだ。
それ以後そうなったの?ずっと。
はい。
やりますか?やってください。
お願いいたします。
ねえねえ格さんよこの方。
じゃあ立ちます。
はい。
この辺でいいですか?はい。
ええい静まれ静まれ!この紋所が目に入らぬか!こちらにおわすお方をどなたと心得る。
恐れ多くも放送界の生き字引黒柳徹子嬢なるぞ。
ええい頭が高い。
控えおろう!へへえ。
(拍手)そうか。
本当は「前の副将軍水戸光圀公」っていうふうに決めたんですけどね。
そこへ置いておいて…。
そうですか。
はい恐れ入ります。
そんなふうに…すごい大きい声なのね。
そうなんです。
大きい声で…。
あんな人がいっぱいいる所でねおやりにならなきゃいけない…。
いっぱいいますからね本当は。
お侍さんがね。
いざっていう時には出すってね。
みんなあれが見たくて。
あれがないと…。
ないとつまらない。
当たり前だけどね。
あなたはもう本当におたくの家族というものは奥様女優長男俳優次男俳優。
弟さんの獏さん俳優奥さん女優娘女優ってもう7人?全部で。
そうですね。
そうなりましたよね。
すごいよねもう。
大和田ファミリーとかなんか言ってるんですけれども。
大和田ファミリーのこれおたくのほうだけ?そうですね。
五大と左側が長男の悠太で真ん中が健介。
で私ですけど。
本当にね坊ちゃん2人とも大きくなったですよね。
ああこんなふうなんだ分かれると。
右が長男?そうですね。
で左が次男。
これからまたみんなそれぞれ成長しましたけどね。
そうなんですよね。
だってご長男も結婚なすったんでしたっけね。
そうなんです。
結婚して一応今別に暮らしてます。
それで次男の方があなたと住んでいる?そうです。
もうほとんど2人。
五大のほうはちょっとお義母さんの具合もあれなんで実家のほうにいることが多いんで。
それから横浜で舞台をやってるものですからそれに集中するためにも割と…。
あの方の夢のあれなんでどっちかっていえば…。
よくご存じで。
だから別居…ちょっと夫婦みたいになってるけど仲はいい?仲がいいです。
奥様はもう横浜の芝居に掛かりっきりっていうことでね。
健介とほとんどいます。
それであなたと住んでらっしゃる健介さんとお母様とが…つまりあなたの奥様とがこちらにいらっしゃったんでしたよね。
お世話になりました。
ありがとうございました。
でもあっという間にばらばらばら…。
これですね。
五大路子さんと健介さん。
面白かったですねこの回も。
面白かった?健介割と言いたいこと言ってましたから。
気を使いながらも上手に言ってましたね。
上手だった?フフフ…。
さすがに…。
意外とね口が悪いんですけどね気ぃ使う人なんですよ健介って。
それにお母様っていう方が他の人の言うことをあんまり聞かないっていうか自分の芝居のことを仰る方だから…。
よくご存じで。
ええ。
あの時でもあれでしょ?お母様という方は…あなたの奥様は『ニューヨーク・タイムズ』に出たんだって?その時ね。
そうですね。
向こうで芝居やったりしてね。
別居っていってもうまく…夫婦はうまくいってるんでしょ?そうでないとまた…。
ここで別居したなんて書かれると私困るからさ。
大変な発表になってしまいます。
大丈夫です。
大丈夫?はい。
時々来てますから。
「来てます」っておかしいけど。
いますし。
いますからね。
でもご長男のことは気になります?離れてると。
それはやっぱり気になりますよね。
まあ…この『徹子の部屋』にね節目節目に出させていただいて悠太が生まれたとかね色んなことを紹介させていただきましたし。
で下の健介と十離れてるんで…九つ。
そうなの?はい。
ですから割と…。
そうか。
だいぶ離れてるのね。
はい。
ですからまあ今離れて暮らしてるとはいえやっぱり気にはなりますけどまあ頑張ってやってます。
はい。
でもあれですよねやっぱり2人の息子が俳優になったっていうことにはそれなりのお父様の覚悟もいりますよね。
はいはい。
ねえ。
でも今健介ともよく話ししてるんですけどね今色んな二世がどうのこうのとかいう話もありますけど本人は最初はね嫌で大和田伸也の息子って隠して活動してて最近やっと自分で言うようになったんですけど。
そういうこと関係なくね自分の好きなことをね親と関係なくやりなさいって言ってるし本人もそのつもりでいますので割と今大和田伸也の息子っていうこと…呪縛から割と解き放されて頑張ってると思います。
それじゃあまあねそれはいい…。
で長男とは会話は…?そうですね。
最近あんまりあれなんですけど。
結婚して出ていっちゃったから…。
「出ていっちゃった」って言葉悪いけど。
「便りがなければ元気の証拠」っていう感じで時々どうしてるかなっていうのをそっと遠くで見守るという形にしていこうかなと思って。
そのご長男からちょっとあなたにメッセージが。
えっ!びっくりしたでしょ?ちょっとそういうのって。
知らない。
本当に?うんちょっと。
悠太さん。
あら!ちょっと見せていただきますね。
「こんにちは大和田悠太です」「徹子さん父がお世話になっております」どうも。
「お父さんお元気ですか?長男の悠太です」「父はですね小さい頃から僕とよく遊んでくれて僕もお父さんが大好きでべったりでしたね」「僕も30を超えて結婚したということで一人の大人一つの家庭を持っている男として親離れという意味でもしっかり自立したいという意味も込めて少し距離を置きました」「お父さんももうすぐ…もうちょっとで70歳ということで健康にいいものも食べてまた体無理しないようにしてください」「今度脂身の少ないお肉でも持っていきますんで一緒に食べましょう」はい。
ありがとうございました。
まあいい子じゃありませんか。
思ってもいないでしょ?あなたのことあんなに思ってるって。
やっぱり自分で少し離れようと思ってたんだね。
あなたが気が付かなかったかもしれないけど彼はそう思ってた…。
そうなんだね。
だから僕ももう少しねやっぱりこうべったりじゃなくて陰ながらっていう感じにしてるんです今。
そうね。
だけど今ちょうどいいんじゃない?彼はあなたのことをそう思っていらっしゃるっていうことがわかって本当良かったですね。
こういうのじゃないとなかなか本心はね。
わからないもんね。
わからないもんね。
さあそれではいよいよコマーシャルを挟みまして長年の…。
さて大和田伸也さんの長年の夢とは一体何だったでしょうか。
はい。
言っていいんですか?どうぞ仰ってください。
マチュピチュへね登りたいっていうのが子供の頃っていうか中学ぐらいからの夢で。
あそこが発見されたっていうニュースからねずっとなんかあの景色と…写真で見て。
それからあの地方の音楽のフォルクローレっていう音楽を聴いて…聴いてるとなんか頭がすっきりしてね色々イメージが湧いたり受験勉強とか役者のあれとか…できたんですよ。
ですから一度行ってみたいと思ってずっといたんですけども。
あの…「あそこへ行ってみて何するの?」って言われてもあそこへ行ってとにかくフォルクローレを聴くだけでいいんだと。
そこで何が生まれるかはわからないと。
でも何か惹かれるんだっていうのがありまして。
その後おかげさまでねこの仕事してますから世界中色んな遺跡とか色んな所行かせていただいて結構行ってますけれどもあそこは残しておいたんですねやっぱり一生の夢だし。
ふっと思い付いてよし行こうと決心…。
登るしね。
はい。
決心してマネジャーにお願いして13日間休み取って。
相当ですよね。
はい。
相当だったらしいですよ。
マネジャー大変だったらしい…。
そりゃそうですよ。
13日間っていうと俳優にとってはね。
ですから他に「一緒に行って」って言われても簡単にみんなスケジュール合わないんでそれで一人で行こうと思ってたの。
ところがそしたら次男の健介がですね役者やってるんですけどお父さん一人じゃ心配だから俺がついていくと。
で2人でマチュピチュ登ってきました。
良かったですね。
はい。
その代わり自分の夢である…自分も行きたいと思ってたイグアスの滝っていう…。
向こうはイグアスの滝?はい。
近いんで。
どっちにしても近い。
そっち一緒に行ってくれるならオーケーみたいな形で両方行ってきました。
そうですか。
それではちょっとそのマチュピチュの風景とイグアスの滝と見せていただきます。
健介が撮りました。
「お父さんと登山してますよ」「マチュピチュに向かってますよ」「一生懸命走ってますよ」「空気が薄いからね」「酸素がね」「普通よりね」本当だね。
そうなんですよ。
息が苦しくなる。
「休憩舎がもうすぐ見えるから」着きました。
あっ…。
着きました。
あっ!不思議だわね。
こんなね高地に。
このまた音楽のねフォルクローレ聴きながらね。
イヤホンで聴いてるんですだから。
イヤホンで聴いてます音楽。
「来ました」
(健介)「来ました」「ついに来ました。
マチュピチュです」でも上手じゃないですか撮るのね。
何だかわかる。
子供の時からね自主映画とか撮るの好きですから。
自主映画とか撮ってたの?好きなんです。
でまあ本当に2人で…息子と2人で旅行できたっていうこともすごく…。
そうね。
こんな大きくなってね。
はい。
イグアスの滝行きました。
ここはね健介が…なんか映画の舞台にもなったらしいんですけどね行きたかったらしいんですけど。
迫力がすごかったですねこちらも。
「すげえ」これ見た人がなんかナイアガラが可哀想って泣いたとかって…なんかね。
ナイアガラも行ったことありましたけどこっちすごいですね。
すごいですやっぱりね。
荒々しい感じがします。
広いですし。
広いね。
へえーよく写真ってうまく撮れるものですねこんなにね。
そうですよね。
こちらのほうの感想はどうでしたか?こちらもねやっぱり健介行きたかっただけあってねやっぱり割とすごい…さっき仰った色んな滝ありますけどやっぱり独特の…。
ナイアガラとかね色んなの。
この近辺のアルゼンチンへ行ったりとかブラジルとかも面白かったし。
そうなの?ただね一生に一度の夢だから今までで一番豪華な旅してやろうと思って。
ましてやぎりぎりに頼んだってこともありまして割と豪華な列車で豪華なホテル泊まっちゃったんですよ。
だからちょっと逆にねちょっと楽すぎちゃってもっと大変かなと思ってたっていうところありましたね。
あれも付けたんですって?通訳じゃないけど…。
通訳も各地全部付いてやってましたんで。
でもまあいいじゃないですか。
せっかく行ったんだから。
ものすごいだからね一生の夢をね息子と一緒に果たせたっていうことがねすごい…。
ご褒美。
自分の人生のね。
そうですよ。
そうじゃない?そうですね。
こんな『藍より青く』からずっとやっててね。
ですからちょっとある種の夢を果たしたのでこれからはもっとね心優しくねもっと人の心と一緒に…通じるようなね優しいいい人間になりたいなって殊勝にも思ったりしました。
そういうのを見るとそういうふうに思うんじゃない?人間って。
でも子供の時からの憧れの場所に生きてる時に行かれて本当に良かったですよね。
そうですね。
大体行かれないですよ普通。
思ったってね。
そうですね。
だからちょっと頑張っちゃいました。
さて話変わるんですけどあなたお母様94歳でお元気でいらっしゃるって?元気でねもう相変わらず子供たちのことを心配して電話でしょっちゅう話すんですけど。
いまだにそれで23年前に亡くなった父親のことを毎日思って。
お母様お奇麗。
奇麗ね。
今これ最近のですね。
なんか修道院の方みたいなんかね。
若い時はね…。
お奇麗。
それでおやじのことを思い出していまだに何かあると「お父さん助けて」って言ってるらしいですよ。
本当に?素敵ね。
奇麗なお母様。
これ若い時ね。
お父様とお母様とね。
旧満州のハルビンで撮ったらしいです。
10歳ぐらい離れていらっしゃるんですって?お年が。
そうなんですねはい。
だからなんか2人ともしゃれた…。
そうそう昔のね。
夫婦で。
本当。
いまだにこの2人がねお父さん亡くなっても愛し合ってるっていうのがすごく羨ましいというか。
本当ね。
はい。
勉強になりますよね。
お父様いらっしゃらなくなってもやっぱり何かあるとお父様に相談っていうかね話し掛けたりなさる…。
はい。
これあなたのご兄弟とご両親。
みんなそれぞれねお母さんにしょっちゅう電話したり連れ出したり。
でも獏ちゃん若いねこうやって見るとね。
獏ちゃん…。
ああ面白いですね。
獏ちゃん今すっかり大人なのにこうやって見るとやっぱりなんかねまだ…。
高校生かしら。
可愛い。
中学…高校ぐらい?あとお姉さんとお兄さんがいて。
僕は3番目なんですけどね。
本当ね。
でもあなたのお父様のお話は随分伺いましたけど。
お父様ハルビンまでねお母様とお父様がいらっしゃってそれで帰っていらっしゃって。
でもなんか亡くなる1週間前ぐらいでしたっけ?なんか散歩に…?ああそうそうそうそう。
23年前にですね亡くなるちょっと前に散歩に誘われまして2人で歩いてたんですけど。
もう本当に亡くなる少し前なのに僕を外側ですか自分は車が危ない側に立って歩くんですよ。
それからぬかるみのほうはお父様が歩いて乾いた歩きやすいほうをあなたに譲ってお父様歩いていらしたってね。
彼の生きざまってそういう人だったのかなって思いましたね。
優しい方でしたね。
亡くなる時に僕にね「とにかく誠実であれ」と。
「人間誠実に」っていうことをずっと言ってましたね。
それはだから守ろうと思ってるんですけど。
元々あなた誠実な方なんだけどそれでもなおかつ誠実であれとお父様…。
でもお父様のこと大好きだって仰いましたよね?はい。
大好きです。
だからそういう大好きなお父様をお母様は今でも好きで元気なお母様は今でもお父様と何かあるとなんか話してる感じがするっていう…。
元々おちゃめなお母さんですから可愛いところあるので。
お母様がどんなにおちゃめかすごく面白いの。
お母様が川の所で石投げした?そういうこともありましたね。
すごい面白いのよ皆さん。
こんな話めったにないと思いますけど。
そうですか?お母様ね川でなんか石投げ…。
それで上手なの?石投げが。
なかなか女の人ってさピュンピュンッてできないじゃないの?はいはいはい。
お母様石投げしたらね結婚指輪が一緒に飛んでいっちゃってね。
ね。
それでもう川の所いっちゃったからってね。
もうみんなで捜したんですよ近所の人も一緒に。
そう。
なかったんですって。
1年後に…。
毎日こうやって見てたらしいんですよ川を。
すごい。
光るのを見つけてもしやと思ってズブズブッと入っていったら1年前になくした指輪だった…。
1年前の。
それお父様がそこに置いておいた…お父様がね。
そうでしょきっと。
そうかな?なんか流されたりするのそこでせき止めたりなんかして。
ああそうなのかな?お父様がここだよって。
そうじゃなきゃさ毎日見てても前に投げちゃったやつってなかなかないじゃない。
でもそれでお母様お喜びになったでしょ?ものすごく喜びました…。
それはそうでしょうね。
第一そんなさ石投げして投げちゃった結婚指輪なんていうのは悔しいったらないじゃないの。
他のことならともかくも。
ね。
でもお元気なお母様ね。
そうやって石投げなさるっていうのね。
なんか電話なんておかけになるとモノマネなんかするんだって?もう昔からね「こんにちはアグネス・チャンです」とか言ったりね。
じゃああなた方ともちょっと似てるようで似てないような…一番明るいお母様。
そうですね。
でもおちゃめなところは僕もちょっと似てるかもしれない。
似てるかもしれない?いたずら好きみたいなところはね。
そう。
なんかもう一つのチャレンジがあったんですか?そうですね。
実は…CDっていうんですか?歌をね…。
歌を?まさかこの年でですよ。
四十何年ぶりかでね…。
『友よ』って昔お出しになったの?あなた。
はい。
昔『友よ』っていうのはちょうど『藍より青く』でデビューして…。
『藍より青く』の頃だったの?これ見て皆さん。
こんなにお若い。
レコードですよね。
これレコードです。
今回CDっていうのをですねたまたま僕の『水戸黄門』かなんかをしゃれで歌ってるのを聴いた作曲家の先生が「低音で歌える人を探してた」と。
「低音のいい曲があるからぜひ歌ってくれ」って言われて聴いたらすごくいい歌だったんで一応出すことにしたんです。
なんか『摩天楼ララバイ』っていうんですって。
それでね「せっかくお父さんそれ出したんだから僕がプロモーションビデオっていうのを作ってあげる」って言ってね作ってくれたんですよ。
はい。
それがございますのでちょっと見ていただきます。
おお。
こんな所から行く?「お前のことを今も思うよ」「幸せになどできなかったけど」「胸が痛むほど愛し合った季節があった」「確かにあったね」「ララバイララバイ」「グラスに揺れる面影飲み干す」あらかっこいいこと。
そうですか?指示どおりに動いて…。
「街の明かりもにじんで見える」「恋しさ眠れ」「摩天楼ララバイ」すごい。
『摩天楼ララバイ』っていう歌だそうですけどこういう男の方が歌うのにはちょうどいいね。
いいですかね。
割と低音の歌って意外とないんですよね。
僕自体がどこかカラオケ遊びに行ってもなかなか低い歌ないんでね。
そしたらこれ割と今評判になって歌ってくれてるらしい…。
よく知らないけど今のさあれみたいカラオケでさ出てくる…。
そうだね。
カラオケであのまま使ってもらったらどうかしら?そうですね。
それで歌ってもらったら?大和田健介撮影演出のプロモーションビデオをね。
横浜なの?あれ。
横浜です。
へえーそうなの?でもまあ…何ていうの?本当にチャレンジャーと思いますよねそういうレコードを出したりするっていうことはね。
そうですね。
だからおかげさまでこの年でレコードを出したりこの間は映画もね作らせていただいたし色んなことチャレンジさせていただいてるんで本当ありがたいなと思って。
でも次男の健介君はあなたと一緒にマチュピチュ行ったり何だりイグアスの滝へ行ったりとか色々して。
あなたの今の音楽も映してくれたりしてるんだけど彼は『花子とアン』なんかに出たりしてるのね。
そうですね。
今もなんか戦争映画の主役であちこちで今上映してるみたいですけど。
『サクラ花』っていうのを…。
ん?『サクラ花』っていう映画を頑張っていますね。
『花子とアン』の時に坊主になった時に初めて…僕が『藍より青く』の時坊主だったでしょ。
その写真と見比べてあっちょっと似てるんだって思いました。
年も同じぐらい?そうですね。
同じぐらいですほとんど。
そう。
不思議だわね。
あの『藍より青く』は本当にすごいね人気だったからね。
これ珍しいんですってね。
ふた組の夫婦が一緒に。
一緒に僕が演出した時芝居をやらせていただいて。
芝居をやった時に?ふーん。
家族と一緒に芝居やるっていうのはどんなもの?そうですね。
これ以来あんまりやってないんですけどいつか一緒にやりたいねっていう話は…。
やりたいとは思ってるの?そのうちね。
もう二度と嫌だっていうことはなかったの?それはわからない。
女性陣はどう思ってたかわかりません。
でも何となく一人の時は犬がお宅にいるからすごくいいんだって?はい。
ペロちゃん今いるんですけど。
もう15歳の柴犬なんですけど。
あら可愛い。
もう慰められてます。
先代もね柴犬だったんですね。
これ柴犬っていうの?はい。
柴犬。
大きいわね。
私気を付けないとね「可愛い。
キツネみたい」ってねすぐ言ってね。
「キツネみたいってキツネのほうがいいのか?」ってみんなに言われちゃうんだけど。
今のはねキツネっていうよりも犬に見えるわねやっぱりね。
大きいでしょ?これは。
中犬ですけどね。
中犬?はい。
色んな意味で「ちゅうけん」ですけど。
違うか。
何歳ぐらい?もう15歳なの。
「ちゅうけん」って忠義な心を持っている犬とも言えるって…?でもレコード売れることを祈ってますんで。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
どうも。
2017/01/25(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 大和田伸也[解][字]

〜夢が実現!?70歳前に決意のチャレンジ〜大和田伸也さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
俳優・大和田伸也さんがゲスト。
◇番組内容
子どもの頃からの夢がペルーのマチュピチュに行くことだった大和田さん。長年機会を伺っていたが、そろそろ実行しないと年齢的にも体力的にも難しくなっていくと思い、昨年その夢を実行。俳優で次男の大和田健介さんが付き添ってくれることになり、親子で贅沢な旅を体験したと語る。もう一つのチャレンジは歌手としてCDを出すこと。スタジオでは、健介さんが独自で撮影と演出をした新曲のプロモーションビデオを初公開する。